◆ Mangiare Felice ◆ 食べて飲んで幸せ:旅:四国
2015-09-04T13:24:02+09:00
lagattina
本を読んでは旅をして、酒を飲み、城を歩く・・・。「旅」と「酒」と「うまいもん」をこよなく愛する名古屋在住catの食べて飲んで幸せな日常。
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18きっぷで大洲へ(12)おわりに
http://lagattina.exblog.jp/16992102/
2011-10-16T19:01:00+09:00
2015-09-04T13:24:02+09:00
2011-10-19T19:11:16+09:00
lagattina
旅:四国
旅から2ヶ月、旅行記を書き始めた時に、伊予から荷物が届きました。中を開けると「プレゼント当選のお知らせ」の手紙と宇和ヤマミ醤油セットが。卯之町を訪れた時にスタンプラリーに参加して、プレゼント応募してみたんですよ。で、見事、当選 \(^o^)/ 旅先のイベントには、積極的に参加してみるものですね。こういうことに運を小出しに使う私たち。ささやかな幸せを感じながら、古い町並みに思いを馳せ、再び旅の思い出話に花を咲かせたのでした。
~ 日程 ~
2011年8月5日(金)~8月7日(日)
( 1) はじめに
( 2) 宇多津で途中下車して、讃岐うどん
( 3) 松山で途中下車して、一杯
( 4) 卯之町を歩く
( 5) 大洲城 を歩く
( 6) 大洲の城下町を歩く
( 7) 大洲でご当地グルメ色々(ちゃんぽん、じゃこカツ、鮎の甘炊き)
( 8) 大洲の鵜飼を楽しむ その1 櫓を漕ぐ舟で川下り
( 9) 大洲の鵜飼を楽しむ その2 迫力満点夜うかい
(10) 観音寺で途中下車して、讃岐うどん
(11) 京都伏見で途中下車して、一杯
(12) おわりに
~ 旅の図書 ~
『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』 『花神』 司馬遼太郎著]]>
18きっぷで大洲へ(10)観音寺でうどん
http://lagattina.exblog.jp/16858522/
2011-10-14T06:24:00+09:00
2011-10-21T12:12:44+09:00
2011-09-16T06:27:34+09:00
lagattina
旅:四国
6:40伊予大洲 → 松山 → 11:29観音寺
最終日は、一路名古屋に戻るべく、東へ東へと列車を乗り継ぎます。時間的には観音寺で昼食というのが、時間的にも列車の乗り継ぎ的にも調子がいい・・・という訳で、観音寺市役所前にあった「上戸うどん 観音寺店」で讃岐うどんを食べることにしました。
●上戸うどん 観音寺店
正午前だったので、広い店内は、まだ空席がたくさん。まずは、前回食べ損なった、ひやかけを食べ、続いて、夏期限定という「花玉ぶっかけ」「豚ザル」というイロモノ系にトライしました。豚ザルは、下味をつけた茹で豚と冷たい麺を漬け出汁でいただくというスタイルが面白い。花玉ぶっかけは、温玉ぶっかけに花カツオがトッピング。花カツオがあるとうどんが食べ難く、こちらはイマイチ。 我々が、大洲旅行の途中に立ち寄ってから程なくして、上戸うどんの観音寺店は閉店してしまいました。Twitterで情報が入った時には、もう、びっくり。理由については、わかりませんが、麺豪山下といい、イロモノ系のメニューが増えたと感じた店が閉店していく・・・といった印象の2011夏でした。若い店主の店だからといって、いつまでもある、と安心できない、昨今。行ける時に、せっせと、うどんを食べに、香川通いをしなくては・・・。
+++++++++
旅の楽しみの一つが、ご当地マンホールチェック。観音寺市のマンホールは、観音寺のシンボルで、有明浜の白砂に残る、巨大な「寛永通宝」の砂絵「銭形砂絵」をがデザインされていました。「寛永通宝」の周りには、観音寺市の木である「松」が描かれています。
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18きっぷで大洲へ(9)迫力満点!大洲の鵜飼
http://lagattina.exblog.jp/16962022/
2011-10-13T23:51:00+09:00
2011-10-20T23:42:07+09:00
2011-10-11T23:54:21+09:00
lagattina
旅:四国
19:30
夜の帳が下りる頃、いよいよ鵜飼本番です。大洲の鵜飼は、「合わせ」といって、鵜飼船を2艘の屋形船が挟んで、暗闇の川面を篝火で照らしながら、併走するのが特徴です。19:50
我々の屋形船の近くに舳先に篝火を赤々と燃やした鵜飼船が近づいてきました。鵜飼船には、烏帽子に腰蓑姿で手綱を取る鵜匠が。操る鵜の数は5羽。手が届きそうな距離に、鮎を狙う鵜の姿が近づいてきて、船頭さんから「船から手を出していると鵜に指を持って行かれるから気をつけて」と注意を促す声がかかるほど。目の前で水しぶきをあげて、鮎を捕らえる鵜の動きは、臨場感があり、迫力満点。大洲の鵜飼ならではの魅力です。併走する屋形船からは、何度も歓声が。鵜が鮎を捕らえた瞬間も口から出す瞬間も、見逃すことがない。鮎を驚かせるための篝火が、目の前を通過。・・・熱いっ!20:05
15分程の実演を終え、鵜飼船は、下流の屋形船の方へ向かいます。船頭さんが鵜が捕った鮎を見せてくれました。西瓜のような匂いが印象的。20:30
大洲城下に向かってゆったりと川を下り、苧綿櫓の近くの川岸で下船。およそ2時間の肱川の川下りと鵜飼見物は終了。いやぁー。楽しかった。面白かった。ここの鵜飼はいい。犬山や長良川の鵜飼に何度も行っているけれど、鵜飼そのものの臨場感は、大洲が勝っていたという印象。鵜飼を見るために、また夏に大洲を訪ねたい・・・そう思わせるほどのインパクトがありました。
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18きっぷで大洲へ(8)櫓漕ぎ舟で優雅に鵜飼
http://lagattina.exblog.jp/16962001/
2011-10-12T23:46:00+09:00
2011-10-20T12:50:35+09:00
2011-10-11T23:51:56+09:00
lagattina
旅:四国
さて、本日のメインイベント、大洲の鵜飼です。真夏の真っ只中に、城めぐりをしたのは、大洲城下を流れる肱川で行われる鵜飼が見たかったからなのでした。
18:00
まちの駅「あさもや」に集合。ボランティアガイドの引率で、鵜飼を見物する屋形船が停泊している川の上流へ移動します。
こちらのポストは、柴門ふみ原作の漫画をテレビドラマ化した『東京ラブストーリー』の最終回で赤名リカ(鈴木保奈美)がカンチ(織田裕二)に別れの手紙を投函したポストなのだそうです。
カンチは愛媛の出身という設定になっていて、大洲は『東京ラブストーリー』のロケ地ともなったそうです。
『東京ラブストーリー』は、今から20年程前のテレビドラマですが、海外では、最近放送された国もあるようで、大洲の城も町並みも見学せず、ここだけをバスで立ち寄って写真撮影だけするアジアの若い観光客が今も絶えないのだとか。
こちらは、西岸良平原作の漫画を映画化した『Always 三丁目の夕日』のロケ地候補となった通りだそうです。
ロケ班は行われたものの、電信柱と電線があることを理由に、ロケ地として採用されなかったそうですが、町の人は、「いつか他の映画で、ここに撮影に来る」という山崎貴監督の言葉を信じて待っているようです。
「いつの日か」は本当に来るのか・・・?! 監督さん、罪作りだ。ミシュランガイドで紹介されたという「臥龍山荘」の脇を通って、肱川の畔へ。18:30
大洲城から3km程上流の肱川畔に屋形船が停まっているのが見えました。水色の一艘が大洲市観光協会が運航する乗り合い船です。船は、昔ながらの櫓1本で手漕ぎする、櫓漕ぎ船。川面を滑るように進む船からは、エンジン音がなく、聞こえてくるのは、風の音と微かな櫓の響きだけ。水面近くの目線から見る水郷の風景にも風情を感じます。日が暮れるまで、川下りを楽しみながら、お食事タイム。船に用意されたお弁当とお茶のほか、散策中に調達した地酒と、鮎の甘露煮もお膳に並べていただきます。富士山(とみすやま)を眺めながら一杯。肱川の景勝地・臥龍淵に立つ臥龍山荘が、目の前に迫ってきました。明治時代に建てられた数寄屋造の名建築で、冨士山を借景にした庭園に立つ母屋の臥龍院、茶室の知止庵、不老庵があり、ミシュランガイドでも紹介されたというのは前述の通り。日が暮れるまでの約40分、櫓の音、川面を渡る心地よい風を感じながら、屋形船に揺られて一献。なんて、贅沢なんでしょう。
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18きっぷで大洲へ(7)大洲のご当地グルメ
http://lagattina.exblog.jp/16858530/
2011-10-11T06:27:00+09:00
2011-10-20T13:01:22+09:00
2011-09-16T06:33:49+09:00
lagattina
旅:四国
さて、城下町大洲で食べたもの。大洲は、鰻や川魚料理が有名なのですが、この日の夜は、鵜飼見物を予定したので、昼は軽く早く食べられるものをと、ご当地グルメにトライ。
●ちゃんぽん
まずは、大洲のご当地グルメ「ちゃんぽん」です。「長崎チャンポン」のような汁そばではなく、ご覧のように、神戸の「そばめし」に似た食べ物。麺より飯の比率が高いのがポイント。訪れたのは、本町通の寂れた商店街にある「さおや」です。名物の「ちゃんぽん」と「お好み焼き(豚玉)」を注文すると、綺麗に手入れされた大きな鉄板を使って、大将が手際よく、ちゃちゃっと作って出してくれます。パラっと炒めたちゃんぽんは、ソースが甘すぎないところがいいですね。夜は居酒屋としても営業しているようで、日本酒や焼酎は、思わず唸る品揃え。大将のこだわりの程が伺えます。次に大洲に来る機会があったら、昼は川魚料理を満喫して、夜はここで鉄板焼きをつまみながら一杯というのも、良さそう。ご馳走様でした。
●かき氷
真夏の炎天下の中の待ち歩きは、ちと無謀だったかな。暑さにグッタリして、珍しく身体が甘いものを欲しました。そこで和風cafe『羅り瑠れ櫓』で一息。店内は涼しく、薄暗く、大人が落ち着く雰囲気。奥のボックス席に案内されると「身体をキーンと冷やすにはこれだね」と、宇治抹茶氷と、マンゴーミルク氷を注文。食べ終わる頃には、こめかみがキーン。火照った身体をクールダウンさせることができました。●鮎の甘炊き
大洲の町を一通り歩いたら、肱川の天然鮎を使った鮎の甘炊を求めに、老舗の植田食品本舗へ。鵜飼見物の申し込みをしたのが、料理屋ではなく、観光協会だったので、屋形船で食べるお弁当に、鮎が入るかどうかわからず、それならば、と自力で調達することにしたのです。店頭には、塩焼き、うるかなどもあり、地方発送も可。近所の酒屋で愛媛の地酒を調達し、鵜飼の準備も万端に整いました。
●じゃこ天、じゃこカツ
愛媛を代表するご当地グルメといえば、じゃこ天。そして、最近話題のじゃこカツ。鵜飼の集合場所である道の駅「あさもや」に早々と移動した私たちは、待ち時間に、これらをつまみに一杯愉しむことに。じゃこカツは、じゃこ天をフライにしたものかと思っていたのですが、じゃこ(小魚)のすり身に刻んだ野菜を混ぜて揚げた、メンチカツの魚版みたいな食べ物。ジャコの苦味や匂いが、野菜の甘みで消され、魚嫌いの子供や、お腹をすかせた中高生の男子がおやつに喜んで食べそう。でも、酒呑みの私は、じゃこ天の方が好みかな(^^) 大洲ではちゃんと食べた記憶がないのですが、結構、いろいろ食べてますね。さて、次は、この日のメインイベント鵜飼のお話を。
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18きっぷで大洲へ(6)伊予の小京都・大洲
http://lagattina.exblog.jp/16961974/
2011-10-10T23:41:00+09:00
2011-10-19T22:53:01+09:00
2011-10-11T23:47:13+09:00
lagattina
旅:四国
大洲は、肱川流域に位置する大洲藩6万石の城下町。城郭の南と西に武家屋敷、東の肱川沿いに町屋を配し、松山から宇和島へ抜ける街道が通っていた町屋の東を中心に、今も、古い町並みが残っています。車は、城下町時代のせまい道路に入った。さらに左折していっそう狭い道路に入ったとき、いきなり明治時代にもどった感じがした。右側にはいかにも明治建築といった小さな赤レンガの建物が両側の民家に密接して建っており、看板をみると大洲の商工会議所らしく、現役としてつかわれていた。●おおず赤煉瓦館
いかにも明治建築といった古めかしい赤煉瓦の建物は、1901年(明治34年)に、大洲商業銀行として建築されました。司馬遼太郎が『街道をゆく 南伊予・西土佐への道』の取材旅行で訪れた当時は、商工会議所として使われていましたが、現在は、おおず赤煉瓦館という休憩所を兼ねた観光施設になっています。イギリス積みの赤煉瓦構造で、屋根には和瓦を葺いた和洋折衷の造りとなっています。●油屋
司馬遼太郎は、当時、商工会議所だった赤煉瓦の建物の向かいの宿に泊まります。肱川に面した古風で静かな宿は、すでに閉館。建物だけが飲食店として残っています。翌朝、町に出た司馬は、大洲の町並を次のように褒めています。
城下町の名残で、道は狭い。日本中の町が画一化してしまったこんにち、昔の町割りのまま道路のせまさを保っているというだけで、大洲は都市空間としての誇りをもっていいのではないか。そして、NHKドラマ「おはなはん」、古くは映画「坊っちゃん」のロケ地にもなった通称「おはなはん通り」に出た時に、伊予らしい「あかるさ」を見出します。明治風の町屋がならんだ一角が、洗われたように清潔であかるい。保存状態が決していいとは言えない通りがいくつもある中で、ここは、緑がかった石垣の上に築かれた、白漆喰塗の蔵や、黄土色の塗り壁に窓に格子をはめ込んだ家々が、今も綺麗な姿で軒を連ねています。●大洲藩校:明倫堂跡
城の南側の旧武家屋敷地区の一角、現在の大洲観光駐車場の東南隅にポツンと土蔵が建っています。大洲藩の藩校・明倫堂の建物の一部です。大洲藩では、伊予の他藩に先駆けて1748年(延享4年)に、藩校を設立。この土蔵が、唯一残る当時の建物です。大洲の古い町並みを歩いていると、伝統的な建築物を個人の力だけで維持管理していくのは難しいようで、壁が剥がれ落ちたまま放置された建物がちらほら見られました。実際、年に数軒が取り壊されているそうで、町並みは徐々にその姿を変えつつあるようです。
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18きっぷで大洲へ(5)大洲城
http://lagattina.exblog.jp/16961951/
2011-10-09T23:27:00+09:00
2011-10-18T22:21:40+09:00
2011-10-11T23:42:44+09:00
lagattina
旅:四国
水と山と城が造りあげた景観の美しさに息を忘れる思いがした。
司馬遼太郎は、大洲を初めて訪れた時の印象を、『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』の中でこう記しています。卯之町から大洲へ向う「特急宇和海」の車窓から、肱川畔の高台に建つ大洲城の姿を見て、この言葉を思い出しました。昼からは、大洲藩6万石の城下町・大洲を散策します。
JR「伊予大洲」駅の連絡通路から南を臨むと、線路の向こうに、小さいながらも、白い天守の姿を確認することができました。地図で見ると南へ2km程の距離になります。●大洲城
大洲城は、鎌倉時代に築城された平山城で、戦国時代に、肱川の流れを外堀に利用した城郭としての姿を整えました。駅から徒歩20分程で、肱川の対岸に大洲城が現れました。肱川が造りあげた天然の要害にはむかしから土豪が城館をつくっていたが、これを織豊形式の城にあらためたのは、脇坂安治だったかと思われる。
脇坂氏は後に播州龍野の龍野城主となり、大洲城は、その後加藤氏の居城となりました。河川敷を西へ移動し、対岸から北側正面の天守と台所櫓を見上げて。町へは北から入った。肱川の大橋を渡るときに「右手を」川下をご覧あれ、といってみたのが、いいつつ気が失せた。青い淵とかわらに面していた白壁の可愛い櫓の横に、およそまわりの自然と溶け込まないコンクリートの会館のようなものができていたのである。肱川大橋から城のある右手を見ると、司馬を失望させた市民会館が、今も苧綿櫓の背後に建っています。確かに、「水と山と城が造りあげた景観の美しさ」が、台無しですね(^^;; 川に鵜飼船が浮かび、いい雰囲気なのですが、木々の緑で、天守が隠れてしまいました。
●天守
下台所前から石垣の上を見上げると、手前に高欄櫓、その奥に天守が見えます。二の丸下段から天守を見上げて、本丸へ。本丸東側から臨む天守天守は、4層4階の層塔型で、屋根には千鳥破風、唐破風を付け、台所櫓、高欄櫓とL字型に多聞櫓で連結した複連結式天守と呼ばれる構えをしています。再建された天守としては珍しく、完全な木造。江戸時代の古絵図や雛形、明治時代に撮影した古写真などの資料をもとに、2004年に往時の姿に復元されました。●天守最上階からの眺望
まずは東。肱川上流に大洲富士と呼ばれている、富士山(とみすやま)が見えます。標高320m、ツツジの季節は山全体がピンク色に染まるそうです。
北西側。蛇行する肱川下流に架かる、JR予讃線の高架が見えます。
そして南側。二の丸越しに、旧武家屋敷地区が広がり、大洲高校のグランドの右下隅に南隅櫓の屋根が見えます。
天守を南から、 高欄櫓越しに南西から、 そして、北西から見上げて。
西二の丸から、天守西正面と高欄櫓を臨む。
本丸には、江戸時代の石垣が残っています。
天守と2つの櫓が並ぶ姿が見たくて、二の丸から、肱川南岸の堤防を西へと移動。両脇に台所櫓(左)、高欄櫓(右)を配した天守の姿が、空の青に映えて綺麗。●苧綿櫓肱川南岸を今度は東の端に向うと、川岸に面して建つ苧綿櫓があります。大雨によってしばしば氾濫する肱川の水害から櫓を守るために、1959年に解体修理した際、土台の石積みを2.6m嵩上げしたそうです。
●三の丸南隅櫓
本丸の南側の三の丸跡地に、大洲城最古の建築物である南隅櫓が残っています。
南隅櫓は2層2階。外壁に袴腰形の石落しがあります。往時は、城の南の守りの要として、外堀に面して建っていました。現在、外堀は埋められ、愛媛県立大洲高校のグランドになっています。三の丸跡地に建つ高校の北門からは、今も、天守の南正面が見通せます。●天守を町のあちらこちらから
大洲の町には、高い建物があまりないので、城を色々な場所から見ることが出来ました。連結式天守なので、見る方角によって、色々な表情を楽しむことができました。
北側(肱川対岸より) 西側(本丸、旧武家屋敷地区)南側(旧武家屋敷地区)私のお気に入りは、台所櫓、天守、高欄櫓が揃って見える北西からの姿。肱川南岸(城側)の堤防からパチリ。川の畔にある天守は、見た目は美しいけれど、川原や堤防には日除けになるようなものはなく、天気の良い夏の日の午後に、縄張りを歩くのは、思った以上に体力を消耗。途中でひと息入れながらの、散策となりました。
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18きっぷで大洲へ(4)卯之町
http://lagattina.exblog.jp/16857575/
2011-10-08T22:33:00+09:00
2011-10-15T15:09:24+09:00
2011-09-15T22:45:36+09:00
lagattina
旅:四国
伊予人の気風は南にくだるにつれてのびやかになるといわれている
『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』の取材旅行で、司馬遼太郎は、松山から大洲、卯之町を経て宇和島へと伊予を南下しています。今回の旅では、大洲と卯之町で司馬の見た風景を辿ってみることにしました。旅程の都合で、我々の散策は、卯之町が先になりました。徳川封建制のふしぎさは、山間僻地にまで学問への刺激がおよんでいたことで、こういう奇妙さは19世紀以前のアジアにはなかった。たとえばこの卯之町に、江戸末期の代表的洋学者二宮敬作が、中央での栄達も考えず、町医としてくらしていたことも、江戸期のふしぎさの一つにかぞえていいかもしれない。
●二宮敬作の住居跡
二宮敬作は、シーボルト門下の蘭学医。司馬遼太郎は、大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描いた小説『花神』の中で、周防の一介の村医にすぎなかった蔵六を世に送り出した人物として描いています。
敬作の計らいで、蔵六は、卯之町でシーボルトの娘・イネに蘭学を教えるようになり、2人の間に生まれた淡い大人の恋模様が、物語の全編を彩ります。
敬作の住居があった跡地には、石碑と案内板が建っています。
●高野長英の隠れ家
二宮敬作の住居跡からすぐ傍の路地を曲がった所に、旧居の一部が残っています。「高野長英の隠れ家」の碑があるように、敬作は、同じシーボルト門下生で、蛮社の獄で国事犯として捕らえられ脱獄した高野長英を、ここに匿まったそうです。敷地内には、長英が、身を隠したという家の2階部分が保存されています。非公開ですが、門から庭越しに建物を見る事が出来ます。●鳥居門
長英が身を隠したと伝えられるもう1つの場所が、敬作住居跡の向かいに、今も立派な門を構える庄屋の屋敷内です。
この門は、庄屋の鳥居半兵衛が自宅に建てたことから鳥居門と呼ばれています。
庄屋の身分不相応な造りであると、宇和島藩からお咎めがあったというエピソードもあるのだとか。お咎めだけで済むところに、大らかさを感じます。 ●中町の町並み
「シバさん」須田画伯が画板を胸に当てて寄ってきた。
「ここは大変な所です。京都だって奈良だってこんな一角がありますか」司馬に同行した須田画伯を驚嘆させた、古い商家の町並みは今も残っています。300m程の道の両側に並ぶ白壁をふんだんに使った町家には、卯建(うだつ)があがり、半蔀(はじとみ)という板戸や出格子などの伝統的な建築様式が見て取れます。司馬は、城下町でもない山間の商人町に、「卯建」のあがったな家が多くあることに驚きます。「卯建」は、隣家との境に造られた防火壁で、富裕な家でなければ取り付けることができなかったからです。卯之町という江戸期の城下町でもない土地によくこれだけ立派な町屋と町並が形成されたものだと思った。(宇和島十万石というのは、相当なものであったらしい)と思わざるをえない。松山の『醍醐』で教えていただいたギャラリー「JAZZ」残念ながらこの日はCLOSED。●開明学校
中町の通りから、石畳の階段を登った先に、明治15年(1882年)に建築された四国最古の小学校「開明学校」があります。司馬遼太郎はここも訪ねています。建物は白壁塗りの木造二階建瓦ぶきで、見様によっては和洋折衷ともいえる。中央に堅牢な瓦ぶきの玄関がある。和風の車寄せといっていい。その玄関の屋根に鬼瓦が置かれているのは、日本的ともいえるし、 りりしくもある。
敷地内には、長野県松本市にある「旧開智学校」との姉妹館提携を標した碑が建ち、その前には、信州・松本特有の双体像の道祖神が祀られています。
建物の中に入ると、明治・大正期の教育資料が展示してあり、階段を登って2階に上がると、当時の教室の様子が再現してありました。壁にかかった、読み書き、算術、唱歌の掛図が興味深い。なかに入ってみて、驚いた。明治の文明開花期の小学教育の教科書、教材が多種類にわたって保存され、 陳列されているのである。明治初年の風景が、教材を通してひろがっていくようでもあった。当時の試験問題も展示してありました。明治7年8月改正の伊呂波図には、「い」の横には「以」、「し」の横には「志」と、江戸期に寺子屋で教えられていた変体仮名が、ルビを振るように小さく書いてあります。司馬遼太郎が訪れた時の写真。アーチ型の窓から卯之町を見下ろして。反対側の窓から見える墓地の中に、二宮敬作の墓がありました。●宇和米博物館
卯之町が一望できる高台に登ってみると、昭和初期に建てられた旧宇和町小学校の古い木造校舎が移築・保存されていました。古い校舎は、宇和の米作りの歴史を紹介する施設として一般公開しています。
目を惹いたのがこちらのポスター。109mもある長い廊下は、毎年雑巾がけレースが行われるそうです。ちなみに、私が訪ねた2011年8月現在で、最速記録は18秒23だそうです(驚)入館者は雑巾がけに挑戦することもできるそうですが、体力に自信がない私。丁重にご辞退いたしました(失笑)古い町並みが、テーマパーク的に残っているのではなく、人々の静かな暮らしの中で守られていて、町を包む空気に、人々の営みの匂いと町への思いが感じられました。
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旅のお楽しみの1つ、ご当地マンホールチェック。宇和町卯之町のマンホールは、「開明学校」と宇和町の花「レンゲ」のデザインでした。
カラー版もありました。11:02 卯之町 →(宇和海10号) → 11:28 伊予大洲
卯之町の散策を終え、大洲へ向います。18きっぷ旅と銘打った旅行ですが、卯之町-伊予大洲間は、適当な列車がなく、特急で移動しました。
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18きっぷで大洲へ(3)松山で一杯@醍醐[松山/愛媛]
http://lagattina.exblog.jp/16857508/
2011-10-07T22:31:00+09:00
2011-10-14T13:59:41+09:00
2011-09-15T22:34:23+09:00
lagattina
旅:四国
名古屋からひたすら卯之町を目指して西へ西へと列車移動をした私たち。あまりお腹がすいていないけれど、軽く飲みましょうと、JR松山駅で途中下車しました。いつもなら、『あかり』に行くのですが、卯之町への終電まで2時間。路面電車で町の中心部を往復するのは厳しいかなと、駅の近くで飲むことにしました。
訪れたのは、瀬戸内海産の魚にこだわる大将が奥さんと営む居酒屋『醍醐』です。カウンター席数席と奥に小あがりがあるだけの鄙びた小さな酒場で、黒板のお品書きには、お薦めの魚の名前がズラリ。「きょうはメバルがいいのが釣れてねえ、太刀魚もいいのがあるからね、それから・・・。」話し上手な大将の術中に見事にはまってしまいました。
*お通し:ハモ、枝豆、イカの煮つけx2
*日本酒:雪雀(雪雀酒造/愛媛) にごり 燗
*刺身:タコ、剣先イカ、釣りアジ、活サザエ
*太刀魚の焼き魚x2
*メバルの煮付けx2
*サザエの肝煮●日本酒
日本酒は愛媛の地酒「雪雀」(雪雀酒造)のみ。にごりをもらってからお燗へシフト。
●お通し
お通しは、鱧の湯引き、枝豆、イカ煮の3品。酒のアテとしてはこれだけで充分。
●刺身盛り合せ
アジの刺身を頼んだら、「盛合せの方が同じ値段で、少しずつ色々食べられるからお得だよ」と大将。この日は、ちょこちょこつまみたい気分だったのでお薦めに従ったところ、大層な盛合せが出てきました。殻付の立派な活サザエ、釣アジ、タコ、剣先イカ。「皿が大きいだけ」と大将は笑うけれど、これはどうみても、1皿1500円の盛合せじゃないです・・・よ、ね?(←心のツブヤキ) 頭の中で算盤を弾きつつ、気持ち良く飲みたいから、まぁいいや。で、いただきます。自慢するだけあって、アジは、身が厚く締まっていて弾力があり、旬の剣先イカも甘みがあり、タコも悪くない。サザエは鮮度が良く、上品な磯の香りとコリコリ感が良いとのことでした。刺身をつまみながら飲んでいたら「太刀魚も塩焼きにしてあげてるよ。少しだけだから。」と大将。すっかり彼のペースです。
●太刀魚の塩焼き
遠火でじっくりと焼いて出してくれた太刀魚は、身が厚くて、塩加減も程好く美味・・・なんですが、出てきたのが2人前。(ちなみに写真は1人前です)
●めばるの煮つけ
「めばるも煮てるよ」のめばるの煮つけは、1人前が2匹分。これが2皿。・・・これ以上は、本当にもうダメ。大将を見ると、大きな穴子の天ぷらを揚げ始めています。「あの、私たち、もう、これ以上食べられませんから、時間もないし、この煮つけで料理は最後にして下さい!」声が上擦ってしまいました。大将は笑って「他のお客の分だよ。」と天ぷら2皿は、奥の小上がりへ運ばれていきましたが・・・。
●肝煮
「これ位は食べられるでしょ」と出てきたのが、刺身のサザエの肝の煮付け。「本当に最後にしてくださいね。」と念押し。新鮮な肝をさっと炊いてあるので、酒の肴には、なかなか良く、常連さんとの会話も楽しかったのですが、のんびり飲んでいたら、まだまだ何か出てきそうだったので、早々とお勘定にしました。
松山駅界隈の居酒屋は「おまかせ」の店が多いので、そうでない店を選んだつもりが、ここも基本「おまかせ」の店でした。お品書きがちゃんとあるので安心していたのですが、壁に「おまかせ料理2800円 3500円 5000円」の貼紙があることに気がつきました。おまかせにした覚えはないのですが、店主が勝手に、料理をどんどん作って、どんどん出してくる。しかも人数分の皿数で。店は地元の常連客が主で、そういう人にとっては店に行ったら、黙っていても、大将がその日良い素材で、毎回違う料理を出してくれたら、いいかもしれませんが、一見さんにはひと言説明が欲しかったような・・・。
という訳で、客は予算を決めるだけ、あとは大将におまかせするから新鮮な地魚を使った漁師料理をたっぷり食べさせて!というのが好きな人には楽で良い店かも。ふらりと軽く一杯向きのお店ではないかな。お勉強代1万4000円也。
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●醍醐(居酒屋)
住 所:松山市宮田町13-1
電 話: 089-945-9482
最寄駅:JR「松山」駅徒歩3分
備 考:支払いは現金のみ。 *""*""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*""*""*"""*"""*"""*
20:06 松山 → 22.37 卯之町
松山で一杯飲んだ私たちは、この日の最終目的地である卯之町へ移動。
明日は卯之町を散策します。
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18きっぷで大洲へ(2)西へ西へ
http://lagattina.exblog.jp/16857494/
2011-10-06T22:29:00+09:00
2011-10-14T00:16:29+09:00
2011-09-15T22:31:56+09:00
lagattina
旅:四国
5:45名古屋 →大垣→米原→姫路→相生→岡山→坂出→ 12:34宇多津
早朝名古屋を出た私たちは、快速を乗継ぎ、香川県を目指します。乗換えはたくさんあるけれど、西行きの列車は、基本クロスシートだし、シートもゆったりしていて、移動は快調。東向きの時に感じるストレスや疲れがないのが嬉しい。予定通り、宇多津で途中下車して昼ご飯にしました。
●中村うどん
訪れたのはJR「宇多津」駅から徒歩10分程の「中村うどん」。飯山の「なかむら」の大将の弟さんが営むセルフスタイルの讃岐うどん店です。昼時とあって、店先には空席待ちの人がちらほらいましたが、これなら行列のうちには入らない、すぐに食べられるだろう・・・と思いきや、先客の皆さんの多くが、小さな子供を連れた家族連れ。20分以上待っても、どこの席を空かない。嗚呼(泣)
いやはや、こういうこともあるもんですね。一時は食いっぱぐれを覚悟しましたが、なんとか席が空き、うどんを食することができました(ホ) 頼んだのは、冷たい麺を冷たいお出汁でいただく「ひやひや」。この日の中村は、つるんとした舌触り、伸びやかさ、たおやかなコシ・・・どれも素晴らしく、大満足。待った甲斐がありました。うどんなので、5分もあれば、ごちそうさま。一緒に並んでいた皆さんも、ほぼ同時に席を立ってお会計。普通はこうなんですけど、休日は要注意ですね。13:35 宇多津 → 観音寺 → 伊予西条 → 17:50 松山
結果的には、JR「宇多津」駅までは、走ることなく、余裕で移動。列車は、すいているし、クロスシートだし、涼しいし、快適快適。司馬遼太郎の『花神』を読みながら、列車移動。定刻通り、松山に到着。さぁ、飲みますか。
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18きっぷで大洲へ(1)はじめに
http://lagattina.exblog.jp/16857486/
2011-10-05T22:23:00+09:00
2011-10-13T16:16:29+09:00
2011-09-15T22:30:28+09:00
lagattina
旅:四国
圧巻だったのは、大洲城の天然の濠であった肱川で繰り広げられる鵜飼。犬山、長良川と鵜飼は何度も見ていますが、大洲の鵜飼は、迫力や臨場感が桁違い。「鵜飼を見るだけのために夏に大洲に行く」私の中では、これ充分にアリです。司馬遼太郎の『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』で須田画伯が絶賛していた卯之町の町並みも風情があり、思い出深い夏の1日となりました。
~ 日程 ~
2011年8月6日(土)~8日(月)
今回も、往復に各1日を費やし、現地観光時間実質1日の強行軍です。
~ 見る・楽しむ ~
[卯之町] 開明学校、高野長英の隠れ家、二宮敬作居宅跡、鳥居門、卯之町の町並み
[大 洲] 大洲城、大洲のうかい
~ 食べる ~
[香 川] 中村うどん(讃岐うどん) 上戸うどん(讃岐うどん)
[松 山] 醍醐(居酒屋)
[大 洲] さおや(お好み焼き)
[京 都] 英勲蔵元直営店 醪音 伏見店 (居酒屋)
~ 参考サイト ~
*大洲市観光情報綜合案内 あさもや歳時記
*伊予の小京都・大洲のうかい
*大洲歴史回顧帖
*大洲市観光・レジャー
*司馬遼太郎の風景
*西予市観光情報*うわっと見て歩きマップ
~ 参考文献 ~
『街道をゆく 南伊予・西土佐の道』 (司馬遼太郎著)
『花神』(司馬遼太郎著)
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