3日目(10/27・土)
司馬遼太郎の「南蛮のみち」を手引きに、スペイン国境近くのピレネー山脈の麓にあるサン・ジャン・ピエ・ド・ポー(Saint-Jean-Pied-de-Port)へ。バイヨンヌから南東へ50km。フランス語のカーナビに戸惑いながらも、ビアリッツ空港で手配したレンタカーで1時間程で辿り着く事ができました。
※レンタカーにまつわる話はまた後日(準備篇・実践篇)ニーヴ川と古い城壁に囲まれたサン・ジャン・ピエ・ド・ポーは、中世にバスク地方のナバラ王国の首都が置かれた城塞都市で、
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の起点となる宿場町。
2016年6月に、
フランスの最も美しい村 Les plus beaux villages de France)のひとつに選定され、巡礼者だけでなく多くの観光客が訪れる山バスクを代表する町のひとつです。山々の緑にオレンジ色の屋根が映え、とても綺麗。
ナバラということばは、「丘に囲まれた土地」という意味だという。川は地を穿って流れ、城の一部と、それをとりまく古い民家の家並みのすそを洗っていた。まことに丘陵の町である。(司馬遼太郎著「街道をゆく 南蛮のみち」より)堅牢なしかもほぼ完全に保存された中世の城郭で、あかるいセピア色の城壁によって町が囲まれている。
くりぬいたような拱門があって、そこから入らぬ限り、路上からは町は見えない。(司馬遼太郎著「街道をゆく 南蛮のみち」より)
城壁前の広場にある公営の無料駐車場にレンタカーを停め、トランクをホテルに預けたら、さっそく、ナバラ門から城壁内の散策を始めることにいたしましょう。
「南蛮のみち」の中で司馬遼太郎は、バスク文化を理解するための資料として、日本に長く住みたくさんの著書を残しているバスク出身のソーヴ―ル・カンドウ神父の著作をあげています。
S・カンドウは神父であり、神学者であり、かつ哲学者でもあったが、それ以上にすぐれた”日本人”でもあった。多くの非信徒からもつよい敬愛をうけ、日本人と日本文化を愛し、さらには高度の内容と上質のユーモアをもつ完全な日本語文章を書き、さらにいえばやわらかくて透きとおった魂のもちぬしであった(司馬遼太郎著「街道をゆく 南蛮のみち」より)
カンドウ神父の生まれ故郷であるサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを訪ねた司馬さんの足取りは、カンドウ神父の生家探しから始まります。「南蛮のみち」で書かれている通り、ナバラ門をくぐってすぐ右手前方にその建物はあり、私もすぐに見つけることができました。
城門を上がってすぐ右側に、三百年は経っていそうな三階建ての古い家がある。その隣の三階建てが、白い壁と窓々に赤い外扉のついたバスク風の家だった。(司馬遼太郎著「街道をゆく 南蛮のみち」より)
「MAISON CANDOU」の看板はなくなっていましたが、建物が建てられた年の刻印は、今も残っていました。
カンドウ神父の生家の斜め向かいに、日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師のフランシスコ・ザヴィエルの父方の先祖の家があります。
写真左から、カンドウ神父の生家、ザヴィエルの父方の先祖の家、ナバラ門。
これを見た司馬遼太郎は、フランシスコ・ザヴィエルとカンドウ神父が、こんなに近い関係にあったのかと、驚いています。
S・カンドウの生涯を決定したのはかれの隣家のプレートだったろうことは、疑いを入れ得ないことのように思えてきた。(司馬遼太郎著「街道をゆく 南蛮のみち」より)カンドウ神父の家の前を通り過ぎ、そのまま、石畳を進むと、ノートルダム教会に突き当たります。
攻め込んできた敵は、教会の石の壁につきあたらざるをえない。日本の城郭でいえば、この教会は、威容といい、機能といい、天守閣を思わせる。・・・ひょっとすると天守閣は、西洋城郭の中心を占める教会が変形したものではないか。そうおもったほどに、この町にあってはこの古い教会は構造も町における位置も、天守閣然としていた。(司馬遼太郎著「街道をゆく 南蛮のみち」より)。
聖堂の中では、マリア像の前にたくさんのろうそくが灯されていました。
朝と正午、夕方に鳴らされるアンジェラスの鐘が、カンドウ家においては、聞こえてくるというようなものではなく、空から輪になって降りおちてきて、家ぐるみつつむのではないかと思われた。(司馬遼太郎著「街道をゆく 南蛮のみち」より)教会の右手にアンジェラスの鐘を鳴らす鐘楼があり、その下がノートルダム門となっています。
教会の前を右折しノートルダム門を出ると、ニーヴ川の渓流が流れています。お城の外濠ですね。
ニーヴ川に架かるノートルダム橋を渡った先には、お洒落なお菓子やさんやブティックが並ぶスペイン通りがまっすぐ続いています。
スペイン通りの先にあるのがスペイン門。巡礼者はこの門から、サンティアゴを目指すのでしょうか。
スペイン通りの緩やかな坂道を下り、ノートルダム門へ戻ります。
ノートルダム門をくぐって、再び城壁内へ。
教会前から今度は反折し、うねるようになだらかな曲線を描きながら続く石畳の坂道をのぼります。
通りの両側には、バスクらしい古い石積みの建物が建ち並び、巡礼の象徴であるホタテの標識や看板が、ここかしこに掲げられています。
司馬遼太郎は、古い家の扉の上に帆立貝の陽刻を見上げながら、中世の巡礼者に思いを馳せ、カンドウ神父は、きっと巡礼物語を童話のようにきいて育ったのだろうと回想しています。
司馬さんが見たのは、この家の帆立貝だったのでしょうか。
シーズンオフの午前中とあって、訪れる人も少なく、町はとても静か。巡礼の始まりの町としての清らかさと凛とした町の空気を肌に感じながら、坂を上り、散策を楽しみました。