5日目(8月17日)
島の中央部の国分寺跡へ。
●国分寺跡
月読神社から西へ約500m、壱岐氏の居宅跡近くの芝地の奥に、国分寺跡があります。

天平13年(741年)、聖武天皇は仏教の力を借りて天下泰平を図ろうと、全国に国分寺建立の詔を出します。経済力の弱い壱岐については、壱岐を支配していた壱岐氏の氏寺を島分寺として国分寺の代用とすることが許されました。

跡地には案内板があるだけで、当時の様子がわかるものは何も残っていませんでした。

国分寺跡の周辺には、壱岐氏の居宅があったとされ、6世紀末から7世紀初めに築造された巨大な石室をもつ大古墳が集中していることから、壱岐氏に関係する墓ではないかと考えられています。古墳めぐりマップを見ながら、代表的な古墳を訪ねてみました。
●双六古墳
壱岐266基ある古墳群の中でとリわけ見事なのは、立派な石室をもつ双六古墳です。

6世紀中頃に造られた全長91mの前方後円墳で、前方部の高さが5mであるのに対し、後円部の高さは10.6mもあり、後円部が高く盛り上がっているのが特徴。

後円部は直径48m。盛り土は、急斜面を描いていて、お椀を伏せたような形をしています。
●掛木古墳
6世紀後半~7世紀前半頃に築造された円墳。周辺が削られていますが、築造当時は、直径30m程の大型古墳で、案内板には、壱岐氏に関係する墓であることを伺わせる記述があります。

玄室には、壱岐唯一の刳り抜き式家形石棺が設置されています。「風土記の丘」に隣接。
●百合畑古墳群
23基の小規模な古墳が集中している百合畑古墳群。

緩やかな斜面にある古墳公園では6基を見学することができます。

百合畑13号墳は、直径15m高さ5mの円墳。

埋葬施設は横穴式の石室

百合畑14号墳は、前方後円墳。全長16m、後円部の直径10m、高さ2m。

横穴式の石室になっていて後円部の頂上に石室の天井石と思われる平石が露出しています。
● 生池城址
16世紀、倭寇だった松浦党の源壹が築城したと伝えられる山城。


城の頂には二重の空堀跡が残っています。
●笹塚古墳
笹塚古墳は、古墳時代末期(6世紀末~7世紀初め)に造られた、壱岐で3番目に大きな円墳。

円盤状の台座の上に直径40mの墳丘を築いた二重構造となっていますが、鬱蒼とした檜林に覆われ、その全景を見ることはできません。

石室からは、金銅製の馬具やガラス玉が出土し、当時特別な地位にあった人の墓と考えられています。

壱岐の古墳群は、海上交易によって栄えた壱岐の歴史を今に伝えています。