5日目(8月17日)
壱岐はどこを歩いても風が野と段丘と林を吹きわたっている。(司馬遼太郎著『街道をゆく 壱岐対馬のみち』より)対馬が『魏志』の東夷倭人伝でいうところの「土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿の径の如し」通りだったのに対し、壱岐は、どこまでも平坦で一面に田畑が広がっています。続いては、壱岐を一望できる壱岐一番の高台「岳の辻」へ。
●烽火台の復元
岳の辻をのぼりきったところに烽火台のレプリカがありました。白村江の戦いの翌年に、敵の来襲をいち早く大宰府に急報するために設置されたました。
おそらく常時十人の防人がその番をし、規定どうり、十日に一日休日をとり、三年の徴兵期間中、一日も故郷を想わぬ日がなかったに相違ない。(司馬遼太郎『街道をゆく 壱岐・対馬の道』より)●岳ノ辻
司馬遼太郎が「粗末さがかえって自然をそこなうことをすくなくしていた」と述べた展望台。
眼下に広がる郷ノ浦の港と町並み。
壱岐全土をぐるっと一望できます。
海にかこまれたこのわかめをひろげたような形の島が、海にむかって押し出すように、緑がひろがっている。
一面の緑に無数の濃い斑点があり、これはすべて森だった。森の多さにおどろいた。上代はその森ごとに神がいた。いまもこの島ほど古社の多い土地は全国でもめずらしいのではないか。(司馬遼太郎『街道をゆく 壱岐・対馬の道』より)東側の展望台には標高213mの標識と明治22年建「緯度測定標」があります。
見通しが良ければ、北方の海上遙かに対馬の島影が
南には、佐賀の東松浦半島の山並みを望むことができるそうです。