4日目(8月16日)
対馬最終日。この日は島の南端の豆酘へ。民宿のご主人の言葉通り、佐賀から車で50分で到着。
●豆酘岬
豆酘は対馬の南西端にある町で、その半島の先端に豆酘崎があります。朝鮮海峡と対馬海峡の境界にあたり、先の海には岩礁が連なっています。対馬一の漁場。

「豆酘は言葉が違うんですよ。何言ってるのか分からない」。
青い海を見ながら、対馬で2泊目に利用した民宿のご主人の言葉を思い出します。幸か不幸か豆酘で会った人の言葉が理解できない・・というような事態には遭遇しませんでしたが、永留久恵も豆酘の独自性を指摘しています。
現在の対馬人は、豆酘の言葉を変わっているという。しかしこれは言う人たちが変わったのであり、豆酘が変わっていないのだ。このように、豆酘が長く古いものを温存したのは、竜良の連山にさえぎられて他との交流が少なく、島の南端に独自の王国を形成したことが考えられる。(永留久恵『対馬古跡探訪』より)
●赤米神田
天道信仰の聖地・多久頭魂神社に向かう途中、「赤米神田」という標識が目にとまりました。青々とした田んぼの一角に、縄を張り、紙垂が下がったエリアがありました。ここのようです。

豆酘では、古代米「赤米」を神田で栽培し、穀霊を神として祀る神事を受け継いでいます。

田植えなど赤米にまつわる年間10回の行事はすべて神事で、厳格なしきたりを守って執り行われているそうです。

赤米神田脇の細いあぜ道を通り抜けると、唐突に、多久頭魂神社の一の鳥居が現れます。
●多久頭魂神社
多久頭魂神社は、対馬南部・豆酘の龍良山をご神体とする天道信仰の古社。佐護の天神多久頭魂神社と並んで、対馬独自の天道信仰の南の聖地として崇められてきました。創始は神武天皇元年とされています。

中世は神仏習合により、観音菩薩を本尊とした豆酘御寺として栄えました。

一の鳥居をくぐってすぐ左手にある鐘楼は

旧豆酘御寺の鐘楼で、神仏習合時代の遺産。

鐘楼に懸かる梵鐘は、中世前半に対馬を支配した阿比留氏が奉懸したもので、平安時代の寛弘5年(1008)に鋳造したものを仁平3年に改鋳し、さらに康永3年にまた改鋳したことが銘文の中に刻まれています。阿比留宿弥良家の名も刻まれていているそうなのですが・・・判読できず。残念。

参道の両脇は、鬱蒼とした杉木立で覆われ、神聖で荘厳な雰囲気が漂っています。

参道を奥へ進むと鳥居と山門があり、その正面に拝殿があります。

多久頭魂神社の神は山そのものであり、本来社殿はないのですが、明治の神仏分離の際に、旧豆酘御寺の観音堂が拝殿となったそうです。

拝殿を正面から。

拝殿裏にはクスノキの巨木が聳えています。

樹高30mの樹齢650年ともいわれるクスノキは、当社のご神木。

境内には、神住居神社

延喜式内社である高御魂神社も祭られています。

右手の参道を進むと観音堂

その脇に地蔵堂。

静謐な杜の中は、蚊が多く、夏場に訪れる際は、虫除けと虫刺され薬が必須アイテムです。