厳原から北へ約40km。溺谷の狭い道を進み西海岸の突端の一つである木坂へ。
●木坂の集落
司馬遼太郎が
「神さびて淋しい」とその印象を語った木坂の集落は、伊豆山を背負い、海岸に向かう道路に沿って、家々が並んでいます。

石でできた塀が美しい。
一種の郷土村のにおいがするのは、道路に面した家々のほとんどが石垣を基台にした塀をもち、古格な門を構え、さらには木口が海風に晒されて潮さびているからだろう。(司馬遼太郎『街道をゆく 壱岐・対馬の道』より)
ひときわ風格のある門の表札を見ると、永留久恵とあります。


2015年4月、94歳で他界した対馬郷土史家で、海神神社の社家でもあり、「街道をゆく」の取材旅行にも同行した故永留久恵氏の自宅でした。
●海神神社
海神神社は海の守り神である豊玉姫命(とよたまひめのみこと)祀る対馬一の宮で、中世のある時期から八幡宮となり、明治4年に海神神社に戻りました。

一之鳥居をくぐると、由緒書があり「神霊の鎮まるところを伊豆山という。イヅ(稜威・厳)とは神霊を斎き祀ることの意で、千古斧を入れない社叢は県指定天然記念物の原生林、いま「野鳥の森」として指定されている。」とあります。

二の鳥居をくぐると

急勾配の長く堅牢な石段が続いていて、上り切って折れたその先には

これまた長い石段が・・・。この上に三の鳥居があります。
海神神社は、伊豆山の山頂にある。山頂への道は堂々たる石段で、登るのが大変だが、ただこのような土地にこれほど贅沢な石段が造営されていることにおどろかされた。(司馬遼太郎著『街道をゆく 壱岐・対馬の道』より)
280段の長い石段を上りきると、床下に亀腹を有する高床式の拝殿が現れます。

拝殿広間から弊殿を伝い、本殿階段へと続く。
社殿は、南西の海に向かっている。航海する海辺のひとびとを守りつづけてきたという感じが、社前に立つとわかってくるような気がする。(司馬遼太郎著『街道をゆく 壱岐・対馬の道』より)
拝殿、本殿、境内社

石段を戻る途中、木々の合間から御前浜の海が見えました。

海神神社からすぐの御前浜という海岸に出ると、不思議な光景が目の前に現われます。
●藻小屋
海岸に出てまず目に入るのが、赤屋根の藻小屋(もごや)です。

海岸に漂着した藻を貯蔵する納屋で、藻は畑の肥料として使われたそうです。

冬場の強い風に耐えるため、壁が石造りとなっています。
●ヤクマの塔
海辺には、石を円錐状に積み上げたいくつもの石の塔が、風に吹かれています。

大きいものは、高さ2m以上はありそうなこの石塔は、対馬独自の天道信仰の祭壇で「ヤクマの塔」と呼ばれています。

木坂では、旧暦6月初午の日に、ヤクマの塔に御幣を立て、無病息災を祈る「ヤクマ祭り」が行われています。

以前は、対馬各地で見られた伝統行事でしたが、今では、この木坂地区と青海地区のみに残っているそうです。

ヤクマの向こうに藻小屋群の赤い屋根が。

『街道をゆく』の中で、取材に同行していた朝鮮半島出身の考古学者は、御前浜から「巨済島が見えた」と波濤の彼方を見つめています。この日は、湿度が高かったせいか、島影のようなものを目にすることはできませんでした。