週末に
日本城郭協会主催の「
名古屋城本丸御殿見学会」に参加してきました。
13時に正門前に集合して2班に分かれて出発。
離宮時代の名残で、鬼瓦に菊の御門の入った西南隅櫓前を通り過ぎ
表二之門を入り、
案内に従って、ヘルメットを着用し、復元工事が進められている素屋根内の工事現場から見学します。
右に見える大きな屋根が「対面所」。その奥が「孔雀之間」。
この現場では、上洛殿、湯殿御書院、黒木書院、上御膳所の復元工事が続いています。手前が上洛殿、奥が上御膳所。現場監督の方の説明によりますと、昭和10年の調査を元に、古図を書き起こして、忠実に復元しているそうです。
上洛殿は、1634年(寛永11年)に徳川家光の上洛に合わせて建築。以後、将軍が来ることがなかったため幕末まで使用されず、でもしっかり手入れをしてあって状態が良かったため、国宝第一号に指定されたそうです。他の建物とは作った年代も目的も違うため、その造りの違いが見どころになるようです。楽しみです。
屋根は杮葺き。厚さ3mmに薄く割った45cm幅の薄板を重ね葺きし、竹釘で打ち付けます。一部に、椹(さわら)という木を使用しているそうです。
隣の広いスペースでは、木材の刻み、加工、取り付け作業をしています。使用している木材は全て国産。一番多いのは檜、次いで杉。床まわりに欅、桑、天井に栗、松などが使用されるそうです。
実際に使われている杮の見本を見せてもらいました。直根の天然木ならではの年輪の狭さが、水はけをよくするそうです。3cmずつずらして葺いています。
杮葺きに使う竹釘
天守をバックにした本丸御殿の正面から。見事な唐破風の「車寄せ」です。
唐破風の下にある横に長い形の懸魚は、「兎の毛通し(うのけどおし)」と呼ばれています。
金の釘隠しには、徳川の家紋「三つ葉葵」ではなく、裏紋の「唐花葵」が使われています。
こちらは6片の葉の形をしている 「六葉釘隠し」
この釘が隠れています。
どんな釘隠しがあったか資料のない箇所については、釘がそのままむき出しのままになっています。土台は、石場建て。
第1期で既に公開されている「玄関」「表書院」を見てから、第2期で公開が始まった「対面所」「下御膳所」と回ります。まずは玄関。一之間と二之間があり、襖には虎と豹が描かれています。昔の人は、雌の虎が豹だと思っていたそうです。
廊下の天井は、棹縁天井。
使用されている木材が、全て柾目で、ニ方柾、四方柾など使い分けているそうです。
表書院三之間は、もっとも表書院の中で玄関寄りの部屋。深い奥行きを持つ部屋。
天井は、釣り天井になっていて、竿部分が猿のホホの様に丸く削ってあることから「猿頬竿縁天井」
格天井の廊下を進むと
表書院二之間の襖には、秋冬をイメージした紅葉などが、
表書院一之間は、新春をイメージした八重桜、雉などが描かれています。
天井は、梁の下に格子状を組んだ「格天井」の格子の中にさらに細かい格子が組み込まれた「小組格天井」となっています。
そして更に奥の表書院上段之間。床之間、付書院、違棚、帳台構が備えられています。天井は、一之間よりも更に格式の高い「折上格天井」。
畳は、白と黒の高麗二方縁。畳屋さんの技術の高さが伺えます。
付書院の明かり格子は
花欄間になっていて
組子細工になっています。
そして対面所へ。上段之間と次之間からなり、藩主と身内などの内々の対面・宴席の場として使用されていました。
次の間の天井は、黒漆と金箔押しが施された豪華な「折上小組格天井」。
障壁画には、初代藩主・徳川義直の正室・春姫(紀州藩主浅野幸長娘)の故郷・和歌山の情景が描かれています。義直と春姫の婚礼の儀が、名古屋城本丸御殿で執り行われたという記録はあるようで、「この対面所が使われたのではないか」という説明でした。
紀三井寺、和歌の浦の玉津島神社、和歌浦天満宮といった名所のほか、塩田、狂言、弓引神事など紀州の庶民の姿も描かれています。
和歌の浦は、山部赤人が詠んだ名歌「
若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る」によって多くの貴族にとって憧れの地となった場所。豊臣秀吉は、和歌浦を訪れて和歌を詠むことで、自分の偉大さを公家たちに納得させたのだとか。その時の歌が、「
打出て 玉津島より なかむれは みとり立そふ 布引の松」。みなさん知識人。ひとつの襖絵からお話がどんどん膨らみます。
奥の一段高い部屋が「上段之間」です。
京都の葵祭の時期に、天下泰平と五穀豊穣を祈願する神事「加茂競馬図」が描かれています。
背景には、愛宕山。明智光秀が本能寺の変の決意表明をしたとされる「愛宕百韻」と呼ばれる連歌会が開かれた場所ということで、ここでもサラサラと歌が出てきました。
ときは今 天が下しる 五月かな 光秀
水上まさる 庭の夏山 西坊(西坊行祐)
花落つる 流れの末を せきとめて 紹巴(里村紹巴)
対面所の上段之間の天井はさらに格が高い「二重折上げ小組格天井」で格縁には黒漆塗りと金箔押しが施された豪華な造りになっています。
組子の花欄間も細やかです。
対面所納戸一之間は、床の間が畳になっています。
下御膳所には、長囲炉裏が設えてあります。料理の配膳や温め直しをするための建物で、天井には煙出しがついています。
お城に詳しい方は、歴史にも、歌にも詳しい。この機会にと、お城のことをあれやこれやと教えていただいたのですが、こんなにたくさんの石垣をどうやって運んだのかという話から、
「
伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」
という有名なフレーズが元々は石垣の材料の石材を船で釣って運ぶ時に歌った
「
石は釣って持つ、釣って持つ石は、尾張名古屋の城へ行く」
からの派生だったというお話がうかがえたり・・・。知識があったら、お城めぐりはさらに楽しくなると再認識。あっという間の濃密な2時間でした。2年後の上洛殿の完成が楽しみです。