司馬遼太郎の著書を携えながらの夏の大分旅行。司馬遼太郎の『街道をゆく 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち 』を読みながら、宇佐神宮と薦神社を訪ねました。
さて、八幡神の故郷を訪ねようとしている。もともと八幡神は、古代、豊の国(豊前と豊後。いまの大分県)から興った。・・・全国四万余社といわれる八幡社のもとのもとはいうまでもなく中津のとなりまちにある宇佐神宮である。その宇佐神宮にも”先祖”があって、それが中津郊外の台上にある薦神社だといわれている。(司馬遼太郎『街道をゆく 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち 』より)
●宇佐神宮
宇佐神宮は、全国に4万社あまりある八幡様の総本宮です。 八幡神は、朝鮮半島からの渡来人が信仰していた神とする説もあり、司馬遼太郎も深く関心を持っていました。
朱塗りの神橋を渡り、参道を進むと大きな朱塗りの鳥居が目の前に現れます。
鳥居をくぐると「初沢の池」があり、司馬遼太郎の言葉を借りると
「その池に半ば足を入れるようにして」宝物館や参集殿などの美しい建物があります。
初沢の池の畔には、この八幡の女性の禰宜だった大神杜女が祀られた「女禰宜神社跡」が以前はあったようですが、見つけることができませんでした。池には、古代蓮が見事な大輪を咲かせていました。
宇佐鳥居の奥に西大門が見えます。
本殿は、八幡造りで、二棟の切妻造平入の建物が前後に接続するような形に並び、両殿の間に相の間(馬道)がつけられています。写真左から一之御殿・二之御殿・三之御殿となり、一之御殿には八幡大神、応神天皇、二之御殿には比売大神、三之御殿には応神天皇の母・神功皇后が祀られているそうです。
天皇陛下からの下賜の札が。
本殿の正面に宇佐神宮の奥宮である大元神社を拝むことができる「大元神社遥拝所」があります。
額縁の枠から覗き込み、左手奥に見える山が、宇佐神宮の聖地として大元神社が鎮座する御許山。現在でも毎月の祭祀が厳修されているそうです。
下宮もちゃんとお参りします。
表参道に戻ると左手に放生池があり、
さらに進むと右手に菱形池と能楽堂があらわれます。
この神は、池を好むのである。薦神社のご神体が池であることを思いあわせたい。
・・・宇佐神宮(宇佐八幡宮)の最大の宗教行事は、神職たちが薦神社の池にやってきて真薦を刈ることである。刈られた薦は宗教上の手順をへて、これで枕がつくられた。その枕が宇佐神宮のご神体とされ、八つの神社を巡幸するのである。(司馬遼太郎『街道をゆく 大徳寺散歩、中津・宇佐のみち 』より)
司馬遼太郎の『街道をゆく』で紹介されている、薦神社にも行ってみたくなりました。
・・・と、その前に、腹ごしらえ。
門前の仲見世通りには土産物店や食堂が並び、「宇佐飴」「ねぎ焼き」「からあげ」「とりてん」等々色とりどりの幟が翻っています。ここでお昼にしましょう。迷った挙句、表参道の入口に近い「文福」という食堂で、大分名物の「唐揚げ定食」と「だんご汁」をいただきました。ご馳走様でした。
つづく