京都島原散策のつづき。
京都で、「
近世のもてなし文化、賓客を迎える日本建築の美」をテーマに特別公開していた建築物をめぐっています。「角屋」に続いて訪れたのが「輪違屋」です。
●輪違屋
「輪違屋」は、元禄元年(1688年)に「養花楼」の名で「置屋」として創業。太夫や芸妓たちを揚屋での宴席に派遣する置屋一本で営業を続けていましたが、明治5年(1872年)に屋号を「輪違屋」に変え、置屋を兼ねたお茶屋として宴席の場も営むようになります。
家紋の入った釣り灯篭を提げた建物の入口には「観覧謝絶」の表札が。ここ輪違屋は、「一見さんおことわり」の置屋兼お茶屋として現在も営業中。太夫も数人在籍しているそうです。(さすがに今は、通いだそうです)
宴席を営む現役のお茶屋さんとあって、普段は非公開なのですが、この夏の2か月間、10年ぶりに内部が一般公開されました。
暖簾をくぐって、廊下を進むと中庭が現れます。
中庭には、屋敷神のお稲荷さんが。
小さいながらも風情のあるお庭です。
部屋の襖には、太夫たちがご贔屓に送った手紙の下書きが貼られています。
床の間の書は、輪違屋さんの以前のご当主さんの筆によるもの。
近藤勇直筆の書もありました。幕末当時は置屋を営んでいたので、新撰組がここを訪ねた訳ではなく、ここの太夫が派遣先のお座敷で、近藤勇に書いて貰った書を持ち帰って屏風に仕立てたのではないか・・・とは、ボランティアガイドさん。
案年季の入った13段の階段を上がった先には、見事な意匠のお座敷があるのですが、撮影不可。壁に本物の紅葉を塗りこんで彩色を施した「紅葉の間」、太夫道中に使われる傘を襖に貼り込んだ「傘の間」、どちらも斬新な設えでした。見学できただけでもありがたい。
ボランティアガイドの話では、今後、一般公開されるかどうかは不明とのこと。観光バスの観光客が押し寄せ、狭い座敷はイモ洗い状態でしたし、階段はギーギー音を立ててましたからね。関係者が気が気でなかったことだけは想像に難くなく・・・。
●大門
そして、島原の花街の東の入口だった「大門」へ。高麗門形式の門前には「出口の柳」と「さらば垣」が設えてあり、花街だった当時の趣を今に伝えています。
京都人の粋と、こだわりと、プライドの高さを感じた、京都島原散策でした。
まだ続きます。
●手打ちうどん春日井
島原散策前にお昼をいただいたのが、カレーうどんで有名なこちらのお店。
開店の11時半と同時に小さな店内は満席に。かろうじて1順目で席に座ることが出来たのですが、うどんが出てくるまで30分以上待つことに(驚)注文取りのおばちゃんはいるけれど、うどんを打ち、茹で、天ぷらを揚げ、カレーを温め、盛り付けるところまで、店主お一人でやられているので、そりゃあ、時間はかかります。
カレーを愛する京都人が絶賛するだけあって、牛スジうどんのカレーはいいお味でした。常連さんらしき人たちが皆「カレーうどん」を注文していたのも納得。