出石城に来ました。背後の小高い山の上に有子山城の石垣が、深い緑の山裾に出石城の曲輪の石垣と白亜の隅櫓が見えます。
この城は、南北朝以来の但馬国の守護・山名氏が、その本城として築きました。その出城として築城したのが、竹田城。
昨日登城した城です。どちらも山と麓が一体となって機能する戦国期の城です。
江戸時代に出石に入封した小出氏は、山麓部を大改修し、最上段に稲荷曲輪、その下に本丸、二の丸、二の丸曲輪、三の丸を配した現在の出石城の形に作り変え、山頂部の有子山は廃城としました。
1968年(昭和43)に本丸跡に隅櫓が復元され、登城門と登城橋も建設されました。
橋を渡り、登城門をくぐって、石段を進むと、復元された櫓が見えてきます。
その先にあるのは本丸跡。
本丸には、江戸中期に、信州上田城から国替えで入封した仙石氏を祀る感応殿があります。出石名物となった「皿そば」は、但馬出石藩初代藩主となった仙石政明が信州上田から出石に蕎麦職人を連れてきたのが始まりなのだとか。似たような話がどこかにありましたね。ふと、会津に高遠蕎麦を伝えた会津藩租・保科正之のことを思い出しました。長野出身の大名がお国替えで入ってきた国では、他でも、蕎麦が名物になっていたりするのかしら・・・。ちょっと気になります。
出石城址東側の朱塗りの鳥居をくぐりながら
石段を登ると
再建された白亜の櫓が迫ってきます。
石段を上り詰めたところに有子山城への登城口があります。急斜な山道を尾根続きに40分程登ると、見事な石垣の有子山城跡がある・・・のですが、2日続けての登山はキツイので今回はパスすることに。右折して、稲荷曲輪へ。
本丸よりも高い場所に稲荷神社があります。
稲荷曲輪からは、出石の城下を眼下に見下ろすことができます。稲荷神社をお参りにきた町人が城の本丸を見下ろせるのも珍しいのですが、城下町の作りも珍しい。というのも、小さな城下町の中央に町人町があり、その周囲に武士団を配しているからです。出石では町人が武士に囲まれるようにして生活していたんですね。
内堀の跡は美しい清流に整備されています。
三の丸西門跡の石垣。これより東側が城内で石垣に続く土塀は家老屋敷のもの。
三の丸大手門跡には、出石のシンボルで日本最古の時計台・辰鼓楼が建っています。辰鼓楼の辰は午前8時の時刻のことを表します。建設当時は時計はなかったようですが、時計が寄付されてからは時計台として使われるようになりました。
出石の城下町を散策するとしましょう。
++++ マンホールチェック +++++
但馬の小京都と呼ばれる出石で見かけたのは、3種類のデザイン。どれも町のシンボル辰鼓櫓が描かれています。
城下町の街並みを背景に。
紅葉の赤と黄色が鮮やかなカラー版
テッセンの花とともに。