午後からは、いよいよ、江田島の旧海軍兵学校へ。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の主人公・秋山真之、親友の広瀬武夫らが学んだ海軍将校養成機関で、NHKがこの小説をドラマ化した際に、兵学校での授業場面などのロケ地もなったこともあり、『坂の上の雲』ファンなら1度は訪ねたい場所の1つです。
13:50 呉港 →(瀬戸内シーライン)→ 14:00 小用港
呉港の中央桟橋から、瀬戸内シーラインの高速フェリーで江田島へ。


フェリーは、島の人の生活の足となっているようで、乗船客のほとんどは、定期券を手にする女子高生や買い物袋を抱えた島民の皆さんでした。

14:06 小用 →(江田島バス)→ 14:10 術科学校前
船を下りると、目の前ばバスターミナルになっていて、バスが待っていてくれました。船とバスの接続が良いのはうれしいですね。
◆海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
旧海軍兵学校は、1883年(明治21年)に
東京築地から広島県の江田島に移転されました。明治から昭和の初期までは、日本では最高のエリート校だったそうで、イギリス、アメリカの兵学校と共に世界三大兵学校と言われたそうです。現在は、幹部自衛官を養成する現役の施設・海上自衛隊第1術科学校となっています。


見学できるのは、平日3回、土・日・祝は4回のみ。見学時間の30分前までに門の入口で受付を済ませ、江田島クラブという施設でビデオを見ながら、しばし待機。この間に手荷物をロッカーに預けるといいですね。そして、いよいよ、自衛隊OBの引率で、90分間の見学ツアーに出発です。
●大講堂
1917年(大正6年)完成。豊臣秀吉が大阪城築城の際にも用いたという、瀬戸内海の黒髪島産の花崗岩(御影石)で造られた白亜の建物。費用は当時の金額で約30万円(駆逐艦一隻分)だったそうです。

ドーム型の天井は、高さ15m。壁材に和紙を用いているため、反響音が大きく、2000人規模の集会の際もマイクなしでOKなのだとか。

壇上の中央には、玉座があり、日の丸と旭日旗が掲げられています。

NHKドラマ『坂の上の雲』では、ここで、図上演習シーンが撮影されました。
●旧生徒館
1893年(明治26年)完成。日本を代表する赤煉瓦造りの建物としても貴重な旧生徒館。

現在は、海上自衛隊の幹部候補生学校として使用されており、建物の内部見学は、出来ません。



案内人の説明によると、レンガは、イギリス製の高級品で、1個20銭、現在の価格にして2万円もしたと伝えられているそうです。(これには異説があり、当時、レンガの生産を始めた国産品(広島・安芸津町産)という説もあるようです。)いずれにせよ、破格な予算でこの建物が作られたことがわかります。それだけの費用を投じただけあって、レンガの表面は今もつるつるしていて、色彩も鮮やか。御影石の白のコントラストが優美です。積み方は、イギリス積みですね。
開け放たれたドアの向こうに見えたのが、ドラマ『坂の上の雲』で秋山真之役の本木雅弘さんと、広瀬武夫役の藤本隆宏さんが肩を並べて歩いた、あの廊下です! おぉぉ。
●教育参考館
海軍関係者の遺品や特攻隊員の遺書を展示してあります。ここは、海上自衛隊にとっては神聖な場所であるため、館内の写真撮影はできません。礼を正して、脱帽して入館。服装も、短パン・サンダル・肩出しなどラフすぎる格好はNGです。

東郷平八郎を祭った部屋や、ゆかりの品、広瀬武夫の褌姿の写真と祖母への手紙などが展示されています。見学ルートの最後に、海軍兵学校の1期生から78期生までの集合写真があります。限られた時間内でなんとか、15期生の写真に広瀬を、17期生の写真に真之の姿を見つけることができました。ここでタイムアウト。展示品が多いので、駆け足で回らないと、時間がとても足らない。

手入れされた芝生の上に、御影石の大講堂、赤レンガ造りの旧生徒館など、大正・明治を代表する建物が無傷で残っているのは、不思議だと思いませんか。アメリカ軍は、ここが海軍兵士の聖地であり、世界の3大兵学校があることを尊重して、江田島を空爆しなかったのだそうです。なるほど~。
16:56術科学校前→(バス)→小用・・・小用港→(高速フェリー)→17:25呉港
帰りのバスと船の連絡もスムーズ。呉に戻ります。



まだ陽も明るいので、呉の町で『坂の上の雲』ゆかりの地を散策することにしました。