幕末の会津の足跡を辿る旅の九州篇。今回は、「鬼の官兵衛」の異名をとった幕末の会津藩家老・佐川官兵衛の終焉の地・阿蘇を訪ねました。
◆西南の役戦跡公園
熊本市内から国道57号を東に向かい、南阿蘇村の阿蘇大橋を渡ると、阿蘇山麓にある「京都大学火山研究所」へ向かう入り口脇に「西南の役戦跡公園」の案内看板が建っています。
案内板から研究所に向かう道沿いには「西郷有志隊の碑」や「西南の役慰霊碑」を始め、西南戦争関連の碑が並んで建っています。
●西郷有志隊之碑 ●西南の役慰霊碑 ●西南戦争豊後口警視隊戦死者之碑
6つ並んだ石碑の半分が、佐川官兵衛ゆかりのもの。
会津藩家老だった佐川官兵衛は、戊辰戦争後、旧藩士を率いて東京警視庁に出仕。西南の役が起こると、豊後口警視隊副指揮長として出征し、阿蘇の地で、薩軍の銃撃により戦死しました。
官兵衛と共に戦った豊後口警視隊を追悼する石碑もここに建っています。
●佐川官兵衛殉難之地 ●鬼官兵衛惜哀賦
亡き人の 跡とふ野辺の 花すすき
たれ招くらむ みちしるべせよ 一誅 と刻まれています。
◆佐川官兵衛討死之地
官兵衛が戦死したのは、西南の役戦跡公園の少し西側。案内版に従って、そちらへも足を運びました。
終焉の地には、石碑と説明文が建っていました。
説明文には、「村民に優しかったその士魂を慕う者いまなお多く命日にはこの地に有志相集まって碑前祭が行われている」・・・と書いてあります。解説文を書いているのは、幕末の会津の人々を描いた歴史小説を何作も執筆している作家の中村彰彦氏。
石碑の側面には、辞世が刻まれています。
君がため 都の空を打ちいでて 阿蘇山麓に 身は露となる
●佐川官兵衛塚
石碑の向かい側には官兵衛塚もあります。ほんの小さな一角ですが、見るものがたくさん。定期的に掃除をする人がいらっしゃるのでしょうね。綺麗に手入れがなされていて、地元の人々を大切にした官兵衛が今も慕われていることが伝わってきます。
周囲は、紫色のアジサイが植えられていました。鶴ヶ城吉野とあります。・・・ふと、旧会津藩士たちの足跡を辿って訪ねた
斗南の尻屋崎を思い出しました。尻屋崎も、たくさんのアジサイが植えてありました。会津とアジサイ、何か繋がりがあるのでしょうか。
今回の阿蘇への旅は「官兵衛の霊を故郷に戻してあげよう」という阿蘇の人々の運動がきっかけとなって会津の鶴ヶ城・三の丸跡に建てられた佐川官兵衛の
記念碑との出会いが、きっかけでした。思えば、幕末の会津をめぐる旅も、何気なく見た1つの石碑から始まったのでしたっけ。今回も思い出深い旅となりました。