2日目 (8月14日)
7:45 一ノ関 → 7:52 平泉
お盆の平泉はさぞかし混雑するだろうと、朝早い列車で平泉へ移動。古都・平泉の玄関口となるJR平泉駅の駅舎は、世界遺産登録を受けて、
全面改修中。ロッカーに荷物を預けると、すぐさま、平泉の中心、中尊寺へ向います。
◆中尊寺
中尊寺は、嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁に開かれ、12世紀の始めに奥州の安泰を願った藤原氏初代清衡によって、大造営されました。
杉木立に囲まれた月見坂を上り、金色堂へまっしぐら。
●中尊寺金色堂
中尊寺一帯は、度重なる火災や室町時代、戦国時代の戦乱により、ほとんどの建物を焼失しましたが、覆堂によって建物を守られていた金色堂だけは、難を逃れ、創建当時の姿が遺構として残っています。中尊寺の中でも1番の人気スポット。混み合う前に、辿り着くことができました。
中尊寺金色堂は、一辺が3間(5.46m)の宝形造で、堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です。堂内の巻柱、須弥壇、長押は、精巧な漆の蒔絵、螺鈿、透かし彫りの金具など、平安後期の工芸技術の粋が集結。堂内には阿弥陀三尊が祀られ、須弥壇には、奥州藤原氏の初代清衡、2代基衡、3代秀衡の藤原3代の遺体と4代泰衡の首級が安置されています。
境内には、昭和天皇の御製を刻んだ碑が建っています。
みちのくの
昔の力
しのびつつ
まばゆきまでの
金色堂に佇つ●松尾芭蕉の句碑・銅像
奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)に、「奥の細道」の旅に出た芭蕉は、この年の5月に平泉を訪れ、金色堂を参詣したとされています。
五月雨の 降残してや 光堂
芭蕉が訪れた時には金色堂は傷みが激しく、芭蕉は金色堂は崩れて無くなってしまうのではないかと嘆いています。芭蕉が見た覆堂は、現在の覆堂とは別の建物で、50m程離れた場所に移築され、その脇には、芭蕉の銅像が建てられています。
●経堂
金色堂のそばに立つ経堂は、1行おきに金字と銀字で書写した「紺紙金銀交写経」など「中尊寺経」を納めていたお堂。いろはもみじが真紅に色づく晩秋の姿は一際美しいそうです。
●中尊寺ハス
金色堂の裏の細い道を下ると、蓮池があります。
淡いピンク色の花を咲かせているのは、古代ハス「中尊寺ハス」です。
中尊寺学術調査の際に、金色堂に納められていた「泰衡の首桶」から発見された蓮の種を、長年の研究によって、発芽、そして開花に成功させた、和蓮の一種だそうです。
1998年に、奥州藤原時代から800年の時を経て蘇った「中尊寺ハス」は、奥州藤原氏ゆかりの地に株分けされ、平成の世にも可憐な美しさを魅せてくれます。
蓮池のすぐ脇で発掘調査が行われている大池跡の古層からもハスの種が発見され、こちらも発芽に成功。「大池蓮」と名付けられ、育てられています。
●白山神社・能楽堂
杉木立の奥に、中尊寺の鎮守・白山神社があります。
1853年(嘉永6年)に伊達家によって、再建された能楽堂で知られています。幕末のキナ臭い時期にも、伊達家は粋で雅でいらっしゃる。桧造りの能楽殿では、毎年8月14日に薪能が上演されるそうですが、今年は延期となったそうです。
坂の左右に点在するたくさんのお堂を見て周りながら、坂を下ります。
●阿弥陀堂
●梵鐘 ●大日堂
●峰薬師堂
「目」にご利益がある峰薬師堂前には、「目」の絵馬がたくさん奉納されていました。
●不動堂
●中尊寺本堂
中尊寺の法要が執り行われる本堂。天台宗の総本山である比叡山延暦寺から、分火された不滅の法灯が灯っています。
●観音堂
●薬師堂
慈覚大師が自ら彫ったとされる薬師如来像が安置されています。
●東物見台
東物見台からは、北上川と束稲山が一望できます。中尊寺一の眺望。
平泉を訪れた西行が、束稲山の桜の美しさを詠んだ歌碑が、建っています。
ききもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かかるべしとは
中尊寺を後にします。