本郷散歩 その1
「
ブラタモリ」の録画を見たら、「本郷」が気になりだし、タモリ著「TOKYO坂道美学入門」、近藤富枝著「本郷菊坂ホテル」を探し出して読み、司馬遼太郎著「街道をゆく 本郷界隈」を読み直したら、ますます行ってみたくなりました。温かくなるまで待ちきれない・・・と、風吹く寒空の中、本郷散策を楽しんできました。
散策の出発点は、本郷3丁目の交差点。
本郷も かねやすまでは 江戸のうち と江戸時代に川柳で詠まれた「かねやす」は、今も洋品店として交差点に残っています。
●喜之床旧跡
本郷3丁目の交差点から、「春日通り」を西に向かって歩き出すと、100m程先の左手に「アライ」という理髪店の看板が見えます。ここで石川啄木が晩年を過ごしました。ここには、新井喜之助が営む、理髪店「喜之床」があり、啄木は2階に6畳2間を借りて、家族と一緒に住んでいたそうです。喜之床の建物は、現在は、犬山の明治村に移築されています。
春日通りを渡り、小径を北に入ると、すぐ本妙寺坂となり、こんな案内板が立っています。
本郷は、江戸時代から多くの文人たちが暮らし、作品を世に送り出してきた、文豪の町。この小さなエリア内に、多くの文人たちの足跡が、残されていることが、「菊坂界隈文人マップ」からもわかります。
●本妙寺坂
本郷は、武蔵野台地の東の端に位置することから、台地や窪地が多く、それらを結ぶ坂道がいたるところにある坂の町でもあります。それぞれの坂には名前がちゃんとついていて、それぞれに違った表情を見せています。
本妙寺坂は、菊坂に向って下り、菊坂を越えるとまた上っていきます。坂を上り始めると、右手に、坂の名前となった本妙寺の跡地があります。本妙寺は、江戸の1/3を灰にした明暦の大火(振袖火事)の火元との説もあると、案内板には記されていました。
●菊富士ホテル跡
その先を左折した突き当りに、多くの文人が集った菊富士ホテル跡があります。大正から昭和にかけて、このホテルに多くの文人、芸術家、思想家たちが止宿し、数々の作品を残すと共に、破天荒なエピソードを残しています。(「菊富士ホテル物語(近藤富枝著)」に詳しい)記念碑の横に立つ御影石には、宇野浩二、宇野千代、尾崎士郎、坂口安吾、谷崎潤一郎、直木三十五、竹久夢二・・・と錚々たる面々の名前が刻まれています。
●赤心館跡
菊富士ホテル跡地から長泉寺に抜ける道の途中に、石川啄木が下宿した赤心館の跡地があります。この下宿で作品を書くも売れず、金田一京介の援助で近くの蓋平館に移ります。文京区の案内板には、赤心館時代の歌が紹介されていました。
たはむれに母を背負ひて そのあまり輕きに泣きて 三歩あゆまず
本妙寺坂に戻り、来た道を菊坂に向かって下ります。
●菊坂コロッケ
本妙寺坂と菊坂が交差する場所に、菊坂コロッケで有名な「まるや肉屋」があります。近所の人が、日常の買物に訪れる、町の肉屋さん。この界隈の散策に来た観光客とわかると、店先のベンチを勧めてくれ、温かいお茶を出して下さいました。お言葉に甘え、ベンチに腰を下ろし、揚げたての菊坂コロッケを頬張ります。芋がほわっとした懐かしい味。冷えた身体も温まります。
●菊坂
まるや肉店前を通る菊坂は、本郷三丁目の交差点そばから言問通りまで、ゆるやかに続く坂道。菊坂界隈は、本郷台地の中でも一段低いため、谷のようになっていて、周囲には、菊坂へ向って下ってくる急で狭い坂道がたくさんあり、坂道を繋ぐように、文人ゆかりの史跡が点在しています。
味わいのある小さな坂道から、一歩入ると、車が入れないような細い路地があり、そこには文人たちの息遣いを今に伝えるノスタルジックな風景が、ひっそりと残っていました。
さらに散策は続きます。