8月20日(木) つづき
田沢湖線に乗って、角館から盛岡へ移動。1時間半程で、盛岡に到着します。時計はまだ17時前。駅前のホテルに荷物を放り込むと、1時間ほど町歩きをしてみることにしました。
◆盛岡城址
まずは駅から歩いて、盛岡城址公園へ。盛岡城は「日本100名城」に選定されています。
盛岡城は、北上川と中津川が合流する丘陵に建てられた連郭式平山城で、南部信直が、1598年に築城。南部藩20万石の居城となりました。
明治期に、城内の建物は取り壊され、城跡には、花崗岩を積み上げた荘重な石垣だけが残っています。石垣は、石を下方に落とし込むように積んだ「打ち込みハギ積式」の石垣が主体なのだそう。長い年月の風雪に耐え美しく重厚なたたずまいを見せています。
城跡は、桜の名所として市民に親しまれているそうです。
本丸に入ると目に付くのが、むやみやらたとデカイ台座です。説明版を見ると、日露戦争で近衛騎兵として出征し、奉天の戦いで戦死した南部利祥中尉を顕彰するために建てた銅像の台座だそうです。銅像本体は、太平洋戦争中の金属供出に遭い、台座だけが今も残っている状態なのだとか。
◆烏帽子岩
三の丸には、高さ約6mもある大きな烏帽子岩が祀られています。
盛岡城を築いた丘は、石材の豊富な場所だったようで、この烏帽子岩は三の丸築城時に、この地を掘り下げていた時に出てきたそうです。この場所が、城内の神域にあったことから、南部藩の「お守り岩」として、崇拝されるようになったそうです。
桜山神社側の正面から見ると、確かに烏帽子のような格好をしているのがわかります。
◆上の橋擬宝珠
お城の周囲には、城下町だった名残をとどめる街並みが残っています。
上の橋は、盛岡城の築城に合わせて第27代藩主南部利直が、中津川に架けた橋。橋はその後架け替えられましたが、上の橋に残る擬宝珠だけは、400年の歳月と風雨に耐え、今も当時の姿のままで橋を飾っています。
そろそろ日が落ちてきました。さぁ、一杯呑みに行きましょうか。