8月19日(水) つづき
みちのくの小京都「角館」は、角館城の南側に築かれた城下町。深い木立の中に江戸時代の雰囲気を残した黒板塀の武家屋敷が軒を連ね、当時の面影を今に伝えています。

お城あっての城下町。
そこに城があるなら、登らなくては・・・という訳で(^^ゝ 武家屋敷を通り抜け、真っ先に、角館城跡に向かいました。
◆角館城址
角館城は、標高166mの古城山に15世紀頃に築かれた平山城。古城山の登り口から、ゆるやかな山道を15分程歩くと、本丸跡にたどり着きます。

角館城は、15世紀から戦国時代にかけて、出羽の国を支配した戸沢家の居城となり、当時は小松山城と呼ばれていました。山の上の本丸跡にある石碑には「小松山城址」と戸沢時代の名前が刻まれています。



角館城は、関ヶ原の戦い後、戸沢家から佐竹家の所領となり、初代秋田藩主・佐竹義宣の弟・蘆名義勝が入城します。しかし、角館城は、1620年の一国一城令により廃城。蘆名家も3代で断絶。その後、角館は、佐竹義宣の甥である佐竹北家が治めます。
城址から角館を一望。桧木内川の左側の木立の中に城下町があります。

城下町は、お城に近い北側が武家町(内町)、南側が商人町(外町)になっています。まずは、武家町(内町)を歩いてみることにしました。南北に延びる広々とした道の両側には上級武士の屋敷が軒を連ね、その奧に下級武士の屋敷があります。
まずは上級武士のお屋敷から。
◆石黒家
城跡に一番近い、武家屋敷通りの北端にあるのが石黒家。現存する武家屋敷の中でもっとも上級の武士の屋敷です。

石黒家は、佐竹北家義隣に召抱えられて、越中から角館に移り住み、財政を担当する勘定役をつとめたお家柄。現在も直系の家族が住み続け、茅葺屋根の母屋、薬医門、土蔵などを大切に保存しています。玄関は、正玄関と脇玄関の2つ。懸魚のある正玄関は、身分の高い客人専用。簡素な佇まいの中に武家の格式を漂わせています。


母屋の座敷に上がることができ、お部屋の中を係りの人が案内してくれます。欄干に彫られた亀(左写真)が、太陽の光や蝋燭の光にに照らされて壁に映し出されます。(右写真) 光が揺らめくと、壁の亀がまるで泳いでいるように見えます。お客をもてなす心遣いが感じられます。




続いて中級武士のお屋敷を続けて2軒。
中級武士の屋敷は、武家町(内町)の南側にあります。
◆河原田家
河原田家は、蘆名家の譜代として会津から角館に移ってきたお家柄。蘆名家断絶後、佐竹北家に仕えました。

現在の建物は 明治中期に建てられたものですが、江戸時代の中級武家屋敷の建築様式を踏襲。風情ある薬医門、書院造の表座敷、板敷きの回廊が印象的。
◆岩橋家
岩橋家も会津からの蘆名家譜代の重臣。蘆名家が絶えた後、佐竹北家に仕えた家柄。

屋敷は、江戸時代末期に改築された際、屋根が木羽葺きに変わりましたが、間取りなどは、角館の中級武士の屋敷としての典型的な形を残しているそうです。樹齢300年以上という柏の巨木が、この家の歴史を物語っています。


最後に下級武士の屋敷へ。
深い木立に黒板塀が続く広い通りから1本西の細く狭い通りに入ります。
◆松本家
松本家は、佐竹家が秋田に国替えとなると主家に従って常陸から秋田へ随行。当初は佐竹家の重臣・今宮家の組下でしたが、後に佐竹北家の組下となり、現在の小人町に屋敷を構えました。

下級武士の家らしく、屋敷は杉板葺きで置き石屋根で、屋敷の周りには柴垣をめぐらし、門は二本の柱のみと質素な作りになっています。映画「たそがれ清兵衛」の撮影にも使われたそうです。
桜が満開の春、雪が降り積もる冬、紅葉に染まる秋・・・それぞれに魅力的だと思いますが、緑豊かな夏の角館も、静かで、のんびりとしていて、風情がありました。