◆ Mangiare Felice ◆ 食べて飲んで幸せ:旅:東北 2011
2011-09-13T23:41:55+09:00
lagattina
本を読んでは旅をして、酒を飲み、城を歩く・・・。「旅」と「酒」と「うまいもん」をこよなく愛する名古屋在住catの食べて飲んで幸せな日常。
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18きっぷで平泉へ(7)男前な居酒屋@安兵衛[郡山/福島]
http://lagattina.exblog.jp/16763257/
2011-08-27T22:19:00+09:00
2011-09-13T23:41:55+09:00
2011-08-23T22:26:09+09:00
lagattina
旅:東北 2011
13:31 平泉 → 仙台 → 18:12 郡山
平泉から南へ南へと列車移動。この日は郡山で、一献とまいります。訪れたのは、以前、郡山の酒屋・平野台清水屋さんに「日曜日の夜に、駅の近くで、福島の地酒が楽しめる店」はないかと質問した際に、教えていただいた「居酒屋 安兵衛」です。店に一歩足を踏み入れると、若いスタッフが元気に迎えてくれ、あれやこれやと、世話を焼いてくれます。威勢がいいだけでなく、かゆいところに手が届くプロの接客。何を聞いても、自信を持ってパパっと応えてくれるのが、気持ちよい。自然とテンションも上がり↑↑↑ます(^^)
カウンター席に落ち着いて、日本酒のメニューを眺めたら、天明、国権、蔵太鼓、穏、泉川、あぶくま、栄川、会津娘・・・と福島の地酒がたーくさん。嬉しくなってしまいます。さぁ、きょうは時間があるから飲んじゃうよ。
*ビール
*日本酒:国権(国権酒造/福島) 栄川(栄川酒造/会津) 黄金澤(川敬商店/宮城・美里町) 燗誂え(仁井田本家/郡山)
*鰹刺身
*三色ナスの揚げ出汁
*郡山長沼産 ニ瓶豆腐(木綿)
*福島県会津坂下産馬刺
*モツ煮の串カツ
*ピンピン焼き
*串焼き:かしら、レバーx2●鰹の刺身
「きょうは、刺身は鰹がお薦め」と聞き、即オーダー。程なくして運ばれてきた刺身の肉厚なこと、大きいこと、脂ノリノリなこと。ビールから日本酒に切り替えます。
●三色ナスの揚げ出汁
白・緑・紫紺のナスを揚げて、ダシ汁に浸して、彩り良く盛って熱々のところを供されます。3色のナスの味を食べ比べながら、熱々のところをふぅふぅしていただきます。白のナスは、とろっ柔らかく味も繊細。緑は、皮がしっかりしていて弾力があり、甘さがあるけれど青っぽさもある感じ。普段食べている紫紺のナスが味は、味が一番濃く、油やダシとの馴染みもいい。
●郡山長沼産 ニ瓶豆腐
地元郡山の豆腐屋さんのお豆腐。木綿と絹があります。我々木綿を注文。豆の味がしっかりしていてオイシイ~って相棒が写真を撮る前に、食べてしまいました(大汗) なので、食べかけのところをパチリ。
●馬刺
こちらは食べ終わるまで写真のことは忘れていた馬刺し。会津坂下産。くぅ~。馬刺しはこうでなくては。赤身のネットリとした旨味、弾力、たまりませんわ。これに合せる甘辛いニンニク味噌がまたイイ。馬刺しは会津に限ります。お酒がどんどん進みます。
●モツ煮の串カツ
スタッフの中でも特にりょーた君がお薦め上手で、こちらが注文しようかどうか迷っているものを、絶妙なタイミングで声かけしてくる。「次、どうされますか?黒板に書いてある、モツ煮の串カツ、モツに味がついているからそのままでも食べられるんですが、これに辛子塗って食べるとチョー旨いんですよ。ビールにも日本酒にも合うと思いますよ~」いやいや、その通りでした。私的にはかなりツボ。
●ピンピン焼き
「これ、うちの名物なんです」ハイハイ、あなたがそういうならいただきましょう。摩り下ろした長芋をチーズと混ぜてオーブン焼きした料理。熱々のところをほじほじしながら、熱燗をクイ。うん、これは、我が家の晩酌の時の参考になりそう。
●モツ焼き
電車の時間が中途半端になってしまったので、熱燗をもう1本呑むことにしました。食べ物がないとつまらない・・・と頼んだのがモツ焼き。部位は、カシラとレバーにしました。コロコロと大ぶりで、焼き加減もGood。軽くのつもりが、しっかり食べて、飲んで・・・となってしまいました。
ここは、福島の地酒と郷土料理を気軽に楽しめる居酒屋。スタッフは、とても若いけれど、グラスが空きそうになったら次の酒を、メニューを手繰り寄せたら、頼んだお酒に合いそうな料理を、と間合い良く声をかけてくる。店で扱う日本酒の特徴や飲み頃の温度についても、ちゃんとわかっていて、質問にもテキパキと答えてくれるところに好感が持てます。郡山で飲む事があったら、これからは、ここかな。
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●安兵衛 (居酒屋)
住 所:郡山市大町1-3-12
電 話: 024-933-9326
最寄駅:JR「郡山」駅西口徒歩5分
備 考:支払いは現金のみ*""*""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*""*""*"""*"""*"""*
20:47 郡山 → 21:25 新白河
この日の宿泊先は、新白河。寝過ごすことなく、ちゃんと下車したものの、外は大雨。ホテルは駅のすぐ目の前だけど、外を歩くことを躊躇させるような酷い降り方だったので、30分程駅で様子を見て、小雨になったところで移動。この日も長い1日でした。]]>
18きっぷで平泉へ(6)毛越寺
http://lagattina.exblog.jp/16796339/
2011-08-25T23:47:00+09:00
2011-09-12T23:29:10+09:00
2011-08-31T23:51:36+09:00
lagattina
旅:東北 2011
昼食後は、中尊寺と並んで平泉を代表する寺院、毛越寺へ向います。
●毛越寺
JR「平泉」駅から、西へまっすぐ700m程歩くと、毛越寺の山門が見えてきます。
山門を入って右手の植え込みに、平泉の高館で松尾芭蕉が詠んだ夏草の句碑があります。しかも2つも!新旧2つの句碑のうち、左側が古い句碑。彫られた文字は、芭蕉の字から起こしたもの、だそうです。
夏草や 兵どもが 夢の跡
山門をさらに真っすぐに進むと、1989年(平成元年)に再建された朱色の本堂が見えます。平安時代に作られたご本尊の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が安置されています。毛越寺は、奥州藤原2代基衡と3代秀衡が、地上に極楽浄土の世界を再現しようと、大きな伽藍を配して造営した浄土庭園です。司馬遼太郎の小説『義経』の中で、奥州藤原3代秀衡と源九郎義経が参拝する場面が描かれています。
毛越寺の壮麗さは、どうであろう。二階楼門の南大門を入ると、堂塔四十余、禅房五百余というおびただしい建物が林間にいらかをならべ、境内の森の中に人工の大池が碧みをたたえ、朱と黄金でいろどられた船がうかべられている。秀衡は、九郎をつれて本堂に入り、暗い内陣にすすみ、一丈六尺の本尊薬師如来を拝跪した。往時の毛経寺は、南大門をくぐると、大泉ヶ池の向こうに、浄土世界を現す建物や庭園がありました。度重なる火災に遭い、現在は礎石と庭園を残すのみとなっています。
800年前の姿を現在に伝える日本最古の庭園。
●開山堂
中尊寺と毛越寺も開山した慈覚大師円仁像を祀るお堂には、藤原3代の肖像画も安置されています。
●常行堂
江戸後期の享保年間に伊達家によって再建されました。祭礼の正月20日は、古式の修法と法楽としての延年の舞が奉納されます。●遣水
池に水を取り込むために作られた曲線状の水路で、曲水とも呼ばれています。
平安衣装を身につけた歌人たちが水辺に座し、遺水に浮かべた盃が流れつく間に歌を詠むという、平安時代の雅な遊び「曲水の宴」が、毎年5月第4日曜日に行われるそうです。京の都から遠く離れた奥州平泉という地にありながら、都に優るとも劣らぬ、平泉文化を築いた、藤原氏。毛越寺の遺跡からも、当時の栄華を感じ取ることができました。
●観自在王院跡
毛経寺に東側に隣接しているのが、奥州藤原2代基衡の妻が建立した観自在王院跡。発掘調査によると、東西120m、南北240mで南北に長い長方形。その遺構からは、規模こそ小さいながらも、平安時代第1級の浄土庭園だったことが偲ばれるそうです。敷地内も見学しようとしたのですが、あまりの暑さにギブアップ。無理をせず、駅に戻ることにしました。
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18きっぷで平泉へ(5)わんこそば@駅前芭蕉館[平泉/岩手]
http://lagattina.exblog.jp/16756227/
2011-08-24T06:13:00+09:00
2011-09-11T22:54:45+09:00
2011-08-22T06:18:31+09:00
lagattina
旅:東北 2011
●地水庵
平泉では、『地水庵』で昼蕎麦酒と決めていたのですが、ご主人の体調不良により、しばらくお店を休業されています。ここの蕎麦屋を再訪することを楽しみにしていた相棒も、初めて平泉を訪れた私もがっかり。ご主人が1日も早く回復されて、お店が再開する日が訪れることを祈るばかり。●駅前芭蕉館
・・・という訳で平泉の昼食に訪れたのが、駅前にある『駅前芭蕉館』です。ここは「わんこそば」が名物のお蕎麦屋さん。昼の11時半だったので、かろうじて空席があり、並ばずにテーブル席につくことができました。その後、続々とお客さんが入ってきてあっという間に席は埋まり、もしあと5分モタモタしていたら、ランチ難民になるところでした。注文してから30分くらいは待ったでしょうか。まずは、具や薬味を載せたお盆が運ばれ、さらに数分待ってから、24のお椀に蕎麦を盛った盆が運ばれてきました。具と薬味は、鮪の山かけ、なめこおろし、筋子、山菜、鰹節、のり、ねぎ等々。まずは一口程の蕎麦を盛った「わんこ」にそばつゆを入れて、ずるずる。続いて、ネギをし入れて、ずるずる、鮪の山かけを加えて、また一口でずるずる。食べたか食べないかわからない状態で、次から次へと薬味をかけてずるずる。わんこそばに対する私の勝手なイメージもあってか、食べ進む毎に加速がついて、なんだか、勝手に忙しい昼食となりました。たったとテンポ良くわんこを平らげ、訳がわからないうちに、24杯完食。肝心のお蕎麦が、ヘナヘナさんでしたが、何種類もの薬味で一口ずつ食べる面白さで、食べきることができました。所謂、江戸前の蕎麦を食べる感覚ではなく、郷土色豊かなB級グルメを味わうつもりで訪れたら、楽しめるかも。お値段は、観光地価格であるのは、まぁご愛嬌。
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●駅前芭蕉館(わんこそば)
住 所:岩手県西磐井郡平泉町平泉泉屋82
電 話: 0191-46-5555
最寄駅:JR「平泉」駅前
備 考:支払いは現金のみ*""*""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*""*""*"""*"""*"""*]]>
18きっぷで平泉へ(4)義経堂
http://lagattina.exblog.jp/16796325/
2011-08-23T00:42:00+09:00
2011-09-09T10:19:56+09:00
2011-08-31T23:48:23+09:00
lagattina
旅:東北 2011
平泉に来ています。
平安時代に奥州を支配した奥州藤原氏を語る上で欠かせない人物が、源義経です。京都の鞍馬山を16歳で出た義経(牛若)は、藤原3代・秀衡庇護の下、平泉で6年の歳月を過ごします。兄・頼朝の挙兵に参戦し、平家追討で功を上げたものの、これを喜ばない兄から追われる身となり、再び秀衡を頼って平泉に戻ります。しかし、秀衡の死後、息子の泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経を自害に追い込み、その泰衡も義経を匿ったことを理由に、頼朝の攻撃を受け、栄華を誇った藤原氏は4代で滅亡するのです。
●義経堂
源義経最期の地として伝えられるのは、中尊寺東にの丘陵地・高館です。判官となった義経の居館があったことから、判官館とも呼ばれています。後に伊達家が建てた義経堂には、甲冑姿の義経像が納められています。
高館の丘からは、西に遠く奥州山脈、東に束稲山、眼下には北上川と、衣川の古戦場跡が一望できます。 義経が高館で自害した500年後の1689年に 「奥の細道」の旅に出た松尾芭蕉は、義経最期の地であり、奥州藤原氏盛衰の地である、ここ高館を訪ねています。高館からの風景を見た芭蕉は「国敗れて山河あり、城春にして草青みたり」という杜甫の詩『春望』を思い出し、人の世の運命と無常感に思いを寄せた、かの有名な句を詠んでいます。
夏草や 兵どもが 夢の跡
●無量光院跡
無量光院は平安時代末期に奥州藤原氏・3代秀衡が建立した寺院です。鎌倉幕府が編纂した『吾妻鏡』に、「宇治の平等院鳳凰堂を模して建立した」と記録されています。CGで再現すると・・・
周囲に土塁を巡らせ、仏堂と広い苑地を設けた浄土庭園だったようです。奥州藤原氏滅亡後、境内は荒廃し、現在では、堂跡、池跡、中島、礎石などの遺構が残っているのみ。現在も、発掘調査が続けられています。
夢と消えた平泉を象徴するこの場所から、今も変わらず、金鶏山が見えます。司馬遼太郎の『義経』では、金鶏山の麓の松林で、義経と秀衡が初めて出会い、毛越寺へと歩む場面が描かれています。午後からは、その毛越寺を訪ねることにします。その前に、少し早い昼食といたしましょう。
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18きっぷで平泉へ(3)中尊寺を歩く
http://lagattina.exblog.jp/16792739/
2011-08-22T06:13:00+09:00
2011-09-08T19:00:32+09:00
2011-08-31T06:31:33+09:00
lagattina
旅:東北 2011
7:45 一ノ関 → 7:52 平泉
お盆の平泉はさぞかし混雑するだろうと、朝早い列車で平泉へ移動。古都・平泉の玄関口となるJR平泉駅の駅舎は、世界遺産登録を受けて、全面改修中。ロッカーに荷物を預けると、すぐさま、平泉の中心、中尊寺へ向います。
◆中尊寺
中尊寺は、嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁に開かれ、12世紀の始めに奥州の安泰を願った藤原氏初代清衡によって、大造営されました。杉木立に囲まれた月見坂を上り、金色堂へまっしぐら。
●中尊寺金色堂
中尊寺一帯は、度重なる火災や室町時代、戦国時代の戦乱により、ほとんどの建物を焼失しましたが、覆堂によって建物を守られていた金色堂だけは、難を逃れ、創建当時の姿が遺構として残っています。中尊寺の中でも1番の人気スポット。混み合う前に、辿り着くことができました。中尊寺金色堂は、一辺が3間(5.46m)の宝形造で、堂の内外に金箔を押してある「皆金色」の阿弥陀堂です。堂内の巻柱、須弥壇、長押は、精巧な漆の蒔絵、螺鈿、透かし彫りの金具など、平安後期の工芸技術の粋が集結。堂内には阿弥陀三尊が祀られ、須弥壇には、奥州藤原氏の初代清衡、2代基衡、3代秀衡の藤原3代の遺体と4代泰衡の首級が安置されています。
境内には、昭和天皇の御製を刻んだ碑が建っています。
みちのくの
昔の力
しのびつつ
まばゆきまでの
金色堂に佇つ●松尾芭蕉の句碑・銅像
奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)に、「奥の細道」の旅に出た芭蕉は、この年の5月に平泉を訪れ、金色堂を参詣したとされています。
五月雨の 降残してや 光堂
芭蕉が訪れた時には金色堂は傷みが激しく、芭蕉は金色堂は崩れて無くなってしまうのではないかと嘆いています。芭蕉が見た覆堂は、現在の覆堂とは別の建物で、50m程離れた場所に移築され、その脇には、芭蕉の銅像が建てられています。
●経堂
金色堂のそばに立つ経堂は、1行おきに金字と銀字で書写した「紺紙金銀交写経」など「中尊寺経」を納めていたお堂。いろはもみじが真紅に色づく晩秋の姿は一際美しいそうです。
●中尊寺ハス
金色堂の裏の細い道を下ると、蓮池があります。
淡いピンク色の花を咲かせているのは、古代ハス「中尊寺ハス」です。
中尊寺学術調査の際に、金色堂に納められていた「泰衡の首桶」から発見された蓮の種を、長年の研究によって、発芽、そして開花に成功させた、和蓮の一種だそうです。
1998年に、奥州藤原時代から800年の時を経て蘇った「中尊寺ハス」は、奥州藤原氏ゆかりの地に株分けされ、平成の世にも可憐な美しさを魅せてくれます。 蓮池のすぐ脇で発掘調査が行われている大池跡の古層からもハスの種が発見され、こちらも発芽に成功。「大池蓮」と名付けられ、育てられています。
●白山神社・能楽堂
杉木立の奥に、中尊寺の鎮守・白山神社があります。
1853年(嘉永6年)に伊達家によって、再建された能楽堂で知られています。幕末のキナ臭い時期にも、伊達家は粋で雅でいらっしゃる。桧造りの能楽殿では、毎年8月14日に薪能が上演されるそうですが、今年は延期となったそうです。坂の左右に点在するたくさんのお堂を見て周りながら、坂を下ります。
●阿弥陀堂
●梵鐘 ●大日堂
●峰薬師堂
「目」にご利益がある峰薬師堂前には、「目」の絵馬がたくさん奉納されていました。
●不動堂
●中尊寺本堂
中尊寺の法要が執り行われる本堂。天台宗の総本山である比叡山延暦寺から、分火された不滅の法灯が灯っています。●観音堂
●薬師堂
慈覚大師が自ら彫ったとされる薬師如来像が安置されています。
●東物見台
東物見台からは、北上川と束稲山が一望できます。中尊寺一の眺望。
平泉を訪れた西行が、束稲山の桜の美しさを詠んだ歌碑が、建っています。
ききもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かかるべしとは
中尊寺を後にします。
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18きっぷで平泉へ(1)北へ北へ
http://lagattina.exblog.jp/16756220/
2011-08-20T06:09:00+09:00
2011-09-06T14:15:11+09:00
2011-08-22T06:12:31+09:00
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旅:東北 2011
1日目(8月13日)
5:47 名古屋 → 豊橋 → 静岡 → 熱海 → 小田原 →12:46 大宮
ひたすら大移動の初日。夜に仙台で美味しいお酒を飲むことだけを楽しみに、進め、進め、の強行軍。昼食は、列車の乗継時間を利用して、駅ソバにしました。大宮駅のホームや駅構内に立ち食いソバ屋は数ヶ所ありますが、評判の良し悪しがあるようで、我々が駆け込んだのは、宇都宮線・高崎線の下り列車が発着する8・9番線ホーム北側にある店。食券機で食券を購入し(Suicaも使えます)、調理場のおばちゃんに「冷やしたぬきをそばでお願い」と注文すると、麺をてぼで湯がいて丼に入れて、ダシをはり、天カスと海苔をトッピング・・・待つこと2分足らずで「いただきます」できます。
。駅そばにしては、麺がツルツルと腰があり、ダシは濃口醤油を使ったしっかり系。天カスが加わるとジャンキーさ倍増。340円という値段を考えると、これはこれで悪くない。食券を買ってから店を出るまでの所要時間は僅か6分。
13:16 大宮 → 宇都宮 → 黒磯 → 福島 → 18:58 仙台
大宮からは、ひたすら移動。黒磯、小牛田あたりで、列車が止まったり、遅れたり、予定していた列車が運休したり・・・なんていうトラブルと、今回は無縁でした。列車は、時刻表通りに、スイスイと動き、定刻通り、仙台に到着。おかげで仙台で2時間の滞在時間が確保できたので、定禅寺通りまで繰り出すことにしました。
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