3日目(2017年5月3日・水)
司馬遼太郎は『街道をゆく 台湾紀行』の取材旅行中に、台南では、赤嵌楼と熱蘭遮城(ゼーランジャ城)を訪れ、大航海時代のオランダ人、その後台湾を統治した鄭成功の短い生涯について思いをめぐらせています。
●大台南公社赤嵌楼 13:25 →(台南バス 88 安平線)→ 13:53 安平古堡赤嵌楼から海沿いへ5km。鄭成功ゆかりの安平地区へバス移動。利用したのは
観光ルートを回る
大台南公社の路線バス「台湾好行」の
安平線88です。
バスの運行は、1時間に1本ですが、赤嵌楼前にバス停があって調子がいい。料金は大人18NT$(2017年5月現在)。支払いに悠遊卡は使えます。(但し、割引の対象外のよう)バスは、エアコンがとても良く効いていて快適。移動の30分の間だけは、猛烈な暑さを忘れる事ができました。
●安平古堡安平地区は台湾で最も早く開かれた街で、「
台湾の歴史は安平から始まる」とも言われています。その原点となるのが安平古堡です。入場料は大人50NT$(2017年5月現在)。
海辺に17世紀のオランダ人が築いた城の跡が残っている。ゼーランジャ城である。台湾では「安平古堡」とよんでオランダの砦という名称にはしていない。城塁は、断崖のないこの地に、人口の断崖としてつくられている。材料は赤レンガである。(司馬遼太郎著『街道をゆく 台湾紀行』より)安平古堡は、1624年にオランダ人が植民地支配の拠点として築いた台湾で一番古い城砦で「ゼーランジャ城」と呼ばれていましたが、1661年にオランダ人を一掃した鄭成功が、故郷の安平にちなんで「安平鎮城」と命名。第二次世界大戦後、「安平古堡」と改名し、僅かに残っていた城壁が保存されることになりました。
ぜんたいとしてはよく修復されている。正面など修復がよすぎて、いまできたばかりの遊園地の一部という観がないでもない。・・・望楼もなにやら空港の管制塔みたいにも思えた。(司馬遼太郎著『街道をゆく 台湾紀行』より)敷地の北西側に、かつてのオランダ時代から残る城壁が残っています。
●オランダ時代の城壁南側には、安平開臺天后宮、台南運河、安平港が見えます。
西側には安平港と歴史水景公園
北側には塩水渓が広がります。
東側には、現在の台南中心部が一望できます。
かつては、下の絵図のように(←南北が逆)三方を海に囲まれた砂嘴の様な所でしたが、現在は周りは埋め立てられ陸地となっています。
●熱蘭遮城博物館敷地内に、ゼーランジャ城と安平の歴史を紹介する博物館がありました。
展示室には、台湾が17世紀のアジア貿易の拠点であったことを裏付ける資料として、出土した中国(景徳鎮)、オランダ(マヨリカ陶器)、日本(伊万里焼)、ベトナム(硬陶缶)の陶磁器なども展示してあります。陶磁器の破片に興味津々。
また、これまでの発掘調査によってわかった、ゼーランジャ城の構造や跡地の空間利用の変遷などについて、
詳しくパネル展示してあります。日本語なのでわかりやすい。
博物館の裏では、実際に発掘されたオランダ時代の城壁の土台の遺構が見学できるようにもなっています。
●鄭成功像台南では、市内のあちこちで鄭成功の像を見かけますが、ここでも広場の一番目立つ場所に建っていて、格好の撮影スポットとなっています。台座には「民族英雄・鄭成功」とあります。鄭成功は、台湾をオランダから開放したアジアの英雄として、台湾でも中国本土でも人気があります。
父・鄭芝龍は、倭寇貿易を担った貿易商で、母は平戸藩の武士の娘で、平戸生まれ。日本でも、近松門左衛門の「国性爺合戦」の主人公のモデルとなった「日本人の血が流れる中国の英雄」というイメージなのですが、
敷地内にある「鄭成功開臺史」の碑文や、鄭成功による台湾の建国の歴史を紹介する10枚のレリーフには、鄭成功が日本生まれで母親が日本人であることには一言も触れていません。祖国の英雄に日本の血が入っているのは、何かと都合がよろしくないでしょうから、当然といえば当然かもしれませんが、ちょっと寂しい。
鄭成功の惜しさは、その生涯のみじかさにある。わずか三十八年だった。夭折する前年、大艦隊をもって台湾にわたり、オランダ人を逐い、これに拠った。(司馬遼太郎著『街道をゆく 台湾紀行』より)●義豐冬瓜茶城跡を出て周囲を散策しようとしたのですが、あまりの暑さに冬瓜茶なるものを買って、店先で一息。冷たくてすっきりした甘さで、大阪のひやしあめにも似たどこか懐かしい味わい。ほんのひととき、暑さがすーっと引いて、生き返りました。
●安平老街(延平街)安平の古い町並みは、鄭成功(明王より延平群王に任命された)にちなんで延平街と呼ばれています。
石畳の路地が入り組み、レンガや漆喰の古びた風合いの建物や、
魔除けらしき紋章を掲げた門などが残り
古き良き台湾の匂いを留めています。
安平古堡 16:22 →(台南バス 88 安平線)→ 16:50赤嵌楼そろそろバスで中心部に戻ることにしました。帰りのバスも88番です。