3日目(5月3日・水)
早朝4時半に起床。この日は台南への移動日。長い1日が始まります。
●台灣高鐵 Taiwan High Speed Rail
台北 6:30→(台湾高速鉄道)→ 嘉義 7:43
台湾の人から「高鉄」と呼ばれる「台湾高速鉄路(台湾新幹線)」。白地に鮮やかなオレンジが映える車両「700T」は、東海道・山陽新幹線700系をベースに開発されたのだそうです。
台北を早朝6:30に出発する左営行きの203号に乗って、まずは嘉義(チャーイ)を目指します。
本日の最終目的地は台南なのですが、途中立ち寄りたいところがあるので、1駅手前の嘉義で下車することにしました。乗車時間は1時間少々。うっかり寝過ごさないように注意しなくては。
予約今回の旅では指定券が必要な切符は全て日本からインターネットで事前予約しました。台鉄、高鉄それぞれに仕組みや発売時期が違うので要注意。高鉄の指定券は、乗車日の28日前の午前0時から
台灣高鐵 Taiwan High Speed Rail のサイトからインターネット予約ができます。予約時にはパスポート番号が必要なので手元に準備しておきましょう。
座席の指定も出来るのですが、座席を自由に選ぶことは出来ないので(2017年4月時点)2列シートに並びでちゃんと席が取れるのか、ちょっとドキドキだったのですが、今回は、販売開始と同時に予約作業をしたせいか、5号車の5D・5Eと2列シートの席の予約に成功しました。
<チケットの受け取り>チケットは、乗車の30分前までにピックアップしなければならないので要注意。発券する際は、
予約番号と予約時に入力した
パスポート番号の下4桁が必要なので、メモして置いた方が良いかも。自動券売機は日本語表記がありませんが、英語表記があります。(スマホのアプリで予約したらチケットレスでも大丈夫みたいなのですが、2枚の場合はどうしたらよいかわからず、PCからの予約にしました)
<車内>前述通り、台湾新幹線は日本の新幹線の車両技術が採用されているので、車内は、日本の新幹線とほとんど一緒。安心感はあるのですが、なんだか、ちょっと外国を旅している感じがしません(^^)列車はきっちりタイムテーブル通り「嘉義」駅に到着。ここにも日本流のDNAを感じます。
●高鐵嘉義 高鐵嘉義 8:00 →(シャトルバス) → 台鉄嘉義 8:25高鐵嘉義駅を出ると「BRT 往 嘉義」の標識を掲げるシャトルバスの乗場へ。台湾新幹線の嘉義駅と台湾鉄道の嘉義駅の間は離れているので、台鉄に乗り換えるためには
シャトルバスかタクシーでの移動が必要なのです。駅の出入口には、タクシーの客引きのおっちゃんやおばちゃんが待ち構えていていますが、たいていの客はシャトルバスの乗り場へ向かいます。
というのも、高鐵の切符を提示したら無料で利用できるからです。
ただし、運行間隔はおおよそ20分間隔。バス停で最大20分待つことになり、台鉄「嘉義」駅への移動に20-30分程かかるので、乗換えには1時間くらいの余裕をみた方が良さそうです。待つのがイヤだったり急ぐ場合は、タクシーということになります。(相場は230NT$程度 2017年4月現在)旅行客を乗せたシャトルバスは、広い田園地帯を高速で走り抜け、駅の裏側=「後站」に停車します。ここが終点ではないので、さっさと降りましょう。
●台鉄嘉義嘉義8:51→(区間車)→隆田 9:25
『街道をゆく 台湾紀行』で司馬遼太郎は嘉義の町を訪れているのですが、日程の都合で、今回は素通り。
せめて、電車の待ち時間に、日本統治時代に甲子園で準優勝を果たした嘉義農林学校の野球部を描いた映画「KANO」の主人公の銅像が建つ中央噴水池だけでも見ようと、思ったのですが、駅の正面玄関一帯は大がかりな改修工事中。見ることができず、残念。
「嘉義」という町は、元々「諸羅」と呼ばれていましたが、18世紀末に清に対する反乱が起きた際、反乱軍に最後まで屈しなかったことを清の乾隆帝が「義を嘉(よみ)す」と称え、以後、町の名前を「嘉義」に改称したのだそうです。
嘉義を訪れた皆さんの多くが、阿里山森林鉄道に乗るようですが
我々は区間車という普通列車で、烏山頭ダムの最寄り駅の隆田に向かいます。田舎の駅でしたが、ちゃんと
悠遊卡も使えました。
車窓から、見える緑の色が一段と濃く鮮やかに、広がっていきます。
列車が、新営の駅に停車した時、司馬遼太郎の『街道をゆく 台湾紀行』の一節を思いだしました。
鄭家の台湾時代、全軍が屯田兵になって農地をひらいた。そういう農地は、とくに、"営"とちょばれた。いまでも地名にその痕跡がのこっている。たとえば台南県の平野に「新営」という小ぶりないい町がある。その南に林鳳営、 林鳳営の西に下営などという集落もあって、いずれも鄭氏時代の名残といえる。(司馬遼太郎著『街道をゆく 台湾紀行』より)ちょうど列車が今走っているあたりのことでしょうか。新営を過ぎ、柳営、林鳳営へと列車は進んでいきます。
嘉義市から台南市までの野は嘉南平野とよばれる。まことに広々としていて、山が霧でかくれている日など一望の平野に見え、大陸にきたかと思わせるほどである。
が、この大平原は、二十世紀のある時期までは、不毛の大地だった。
日本領時代に、八田與一という土木技師がいて、この平野を美田にしようとし、成功した。大正時代のことである。(司馬遼太郎著『街道をゆく 台湾紀行』より)窓の外には、青々とした田んぼが一面に広がっています。嘉南平野が台湾最大の穀倉地帯に生まれ変わったのは、日本統治時代。土木技師の八田與一が、巨大な「烏山頭水庫(ダム)」と1万6000kmに及ぶ網の目のような灌漑用水「嘉南大圳」を建設してからのこと。土地の人が八田技師に感謝してダム湖の畔に銅像を造り、命日の5月8日には、今も墓前祭が営まれていることを『街道をゆく 台湾紀行』で初めて知りました。今回の旅で、訪れてみたいと思った場所のひとつが烏山頭水庫。そこへ向かおうとしています。
列車は30分程で隆田駅に到着しました。ここからの移動はタクシー頼み。駅前にタクシーがちゃんといますように。