8月13日(木)つづき
小木から北へ戻る途中、司馬遼太郎が『街道をゆく 佐渡のみち』の中で多くの頁を割いた小比叡騒動の舞台となった蓮華峰寺を訪ねました。
●蓮華峰寺
蓮華峰寺は、山間の蓮華の花のような地形に、多数の伽藍を配した佐渡を代表する名刹です。
小比叡という異称のある蓮華峰寺は、奇妙な地相のなかにある。谷底なのである。・・・巨大な空虚の中に草木が生い、谷の細流が流れ、堂塔伽藍がうずくまっている。(司馬遼太郎著『街道をゆく 佐渡のみち』より)
●鐘楼堂
桃山建築の特徴を残した袴腰付きの鐘楼堂。案内に従って石段を下り、境内を1周することに。
●仁王門
鐘楼堂脇の石段を下ると、まず右手に仁王門があります。
●唐門
さらに下った谷底に本堂へと続く唐門があります。
●金堂
ここからは登り。石段を上がり、蓮華峰寺の中心的な建物で、本尊として聖観音を祀る金堂へ。
太やかな白木の柱、ずっしりと分厚い白木の板壁がつかわれていて、総体に佐渡の他の神社の社殿や能舞台などとも共通するにおいがある。(司馬遼太郎著『街道をゆく 佐渡のみち』より)●弘法堂
杉木立の奥にあるのは、空海(弘法大師)を祀った弘法堂。
●骨堂
小径を上がっていくと、南北朝初期に建立された骨堂。
●八祖堂
組物を五手先とした茅葺形銅板葺の大きな屋根が独特の造形。
●八角堂
極彩色の彫刻が木立に映えて美しい八角堂。スタート地点に戻ってきました。
小さな比叡山というだけあって、峰や谷に多くの伽藍が配されています。
司馬遼太郎は、羊歯が生い茂る小径を歩きながら「小比叡騒動」に思いを馳せています。
『鼠草紙』という奇書が、佐渡に残っている。・・・辻藤左衛門という佐渡の廉直な役人が、その廉直さがゆえに公儀の謀反人になり、小比叡という佐渡第一等の寺に籠城して奉行所の人数に抵抗し、力戦して、ついには自害するという話で、事件も人物も架空ではなく、実在した。(司馬遼太郎著『街道をゆく 佐渡のみち』より)
意地悪は、日本人の民族病といっていい。・・・正当でないとされる者がその地位につく場合、他は目ひき袖ひきして合図しあい、陰口をまきちらし、やがてはその座にすわっている当人の精神の正常性がたもてなくなるまでにそれをやるのだが、辻藤左衛門もまた日本における、その後の時代をもふくめての無数の被害者のひとりであったにすぎない。(司馬遼太郎著『街道をゆく 佐渡のみち』より)