司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」を歩く旅の続き。
日本で最初の西洋医学の講義が行われた海軍伝習所の医学伝習所を前身とする長崎大学医学部は、現在、平和記念公園から徒歩数分の場所にあります。
●長崎大学医学部 坂本キャンパス
こちらが医学部のある坂本キャンパス。
正門から敷地内に入ると、「近代西洋医学教育の父」ポンペの記念碑があります。
オランダ海軍軍医だったポンペは、海軍伝習所の医学教授として来日。医学校で医学の土台となるべき基礎科学の知識に乏しかった生徒たちのために、西洋医学全般を系統的に指導するとともに、併設した病院では、広く庶民の治療にあたり、医の真髄を実践して教えました。ポンペの言葉です。
医師は自らの天職をよく承知していなければならぬ。ひとたびこの職務を選んだ以上もはや医師は自分自身のものではなく病める人のものである。もしそれを好まぬなら他の職業を選ぶがよい。
ポンぺの考えに共鳴し、医学伝習所を海軍伝習所から独立させ、病院を併設した医学校「小島養生所」の設立に奔走したのが、弟子の松本良順です。
ポンぺと松本良順によって設立された医学伝習所は、その後、名称を変えながら発展継承され、1949年に長崎大学医学部となりました。長崎大学医学部は、ポンペが最初の講義を行った1857年(安政4年)11月12日を創立記念日としています。
正門右手にあるのが、創立150周年記念事業の一環として建てられた「良順会館」です。松本良順の名前がついています。
良順会館は、国際シンポジウム、セミナーなどが開催されるホールとミュージアムが併設されています。ミュージアムでは、松本良順直筆の書などを展示し、日本の西洋医学史と長崎大学医学部の歩みを紹介しているそうです。学校がお休みの期間だったので、閉館していて中に入ることはできませんでした。
キャンパス奥に佇む煉瓦造りの2階建ての建物、こちらは「ポンペ会館」。長崎大学医学部創立100周年記念事業で建てられたそうです。
医学部の校舎内には、ポンペの偉業を称えるレリーフが飾られていました。窓越しに見学。
それぞれの配置は、こんな感じ。
校門にあるキャンパスマップには、ポンぺや松本良順ゆかりの施設やレリーフの位置がわかりやすく紹介されていました。
年末で大学がお休み中とあって、記念館やミュージアムに入ることは出来なかったのですが、幕末のポンペや松本良順の精神が、今も息づいていることを実感することができました。