3日目(12月31日) つづき
鶴ヶ城の三の丸跡にひっそりと「佐川官兵衛顕彰碑」が建っています。
佐川官兵衛は、鬼の官兵衛」の異名をとる幕末の会津藩家老です。戊辰戦争の材木町の戦いでは、僅かな兵力で、鶴ヶ城下に侵攻しようとする西軍を潰走させることに成功。この戦いの勝利で、鶴ヶ城への補給路を確保することが出来たことが、後の篭城戦に繋がったと言われています。
明治10年の西南戦争の際に、出征先の熊本県阿蘇山中で戦死。阿蘇の地では、部下に略奪や暴行を一切禁じ、地元の人々を大切にしたことから、「鬼様」の愛称で慕われました。
この記念碑は、「阿蘇の石で記念碑を造って、官兵衛の霊を故郷に戻してあげよう」という阿蘇の人々の運動がきっかけとなって、建立されたそうです。石碑は阿蘇の石、台座は会津磐梯山の石を使って建てられ、台座には官兵衛の辞世が刻まれています。
君のため都の空を打ちいでて 阿蘇山麓に身は露となる石碑の前には阿蘇の松が植樹され、その後ろに建つ解説碑には、直木賞作家で、会津藩祖の保科正之の名君ぶりを世に知らしめたことで知られる会津通の中村彰彦氏が「会津の生んだ屈指の名将は、戊辰の年の八月二十九日に鶴ヶ城を去って以来、実に百三十三年ぶりに帰城を果たしたことになる」と記しています。
+++++++旅先の密かな楽しみの一つマンホールチェック++++++++++++
会津若松市のマンホールは、 猪苗代湖に浮かぶ磐梯山と、会津若松市の木の赤松が、デザインされています。
こちらはカラーヴァージョン。