2月26日(土)
●熊本城
幾重もの高石垣に囲まれて聳え立つ巨大な熊本城は、徳川家康が、薩摩藩の島津氏押さえとして、加藤清正に築かた城です。薩摩に睨みを利かせ続けた熊本城は、徳川幕府が消滅した後の西南戦争で、漸くその真価を発揮しました。熊本城攻防戦に敗れた西郷隆盛は「官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」と嘆いたと伝えられています。
梯郭式平山城。南西の古城と北東の千葉城を取り込み、それらを出丸としています。
●西大手門
二ノ丸広場から西大手門を通って城内へ。熊本城は西・南・北の3つの大手門を持ち、西大手門は最も格式の高い門とされています。
頬当御門を通り抜けると、石垣の向こうに大天守が迫ってきました。
枡形を通り抜け、本丸御殿地下の闇通路を進んでいくと、天守東側の本丸へ出ます。
●大銀杏
まず目に入るのが、熊本城の別名「銀杏城」に由来する大きな銀杏。加藤清正が築城の際に植え、「この木が天守と同じ高さとなった時に、異変が起こる」と語ったと伝えられています。
清正の予言通り、大銀杏が大天守と同じ高さになった1877年、西南戦争が勃発。清正手植えの銀杏は焼失しましたが、その燃え跡から芽吹いて育った木が、現在に至っているそうです。晩秋の頃には、葉が黄色に色付き、きっと見事でしょうね。
●大天守
天守は、連結式望楼型。大天守は3重6階地下1階、2層の千鳥破風の上に唐破風を備えています。小天守は3重4階地下1階。外壁を漆黒の下見板で囲み、軒下部分だけに白壁を配した造りで、黒と白のコントラストの鮮やかさが青空に映え、勇壮な佇まいを見せています。
天守の周りをぐるっとしてみます。東南角から見た大天守。
大天守を南側下から見上げて。武者返しの石垣が天守の力強さを引き立てます。
西南角からの構図。天守台の石垣の勾配が、雄々しい。
天守西側・平左衛門丸御殿側から。天守台の石垣は、小天守の方が急勾配。
東側(本丸側)から見る姿とは対照的なのが面白い。
●天守からの眺め
天守最上階に、熊本城が消失する以前の天守南側の風景写真がありました。
現在はこんな眺望。五階櫓跡の石垣の向こうに、花畑公園(花畑邸跡)があり、熊本の市街地が広がっています。
西出丸の向こうには、頂上に仏舎利塔のある小高い花岡山があります。西南戦争の熊本城攻防戦で薩摩軍は、花岡山に砲台と砲兵隊を配置し、熊本城を攻撃しました。
その西側には、熊本城攻防戦の激戦地となった段山が広がり、写真右手前の小高い中尾山に、加藤清正の廟所・本妙寺があります。手前に見えるは宇土櫓。右奥が戌亥櫓。
小天守越しに、天守北側を望む。ここから20km北に「雨は降る降る じんばは濡れる 越すに越されぬ 田原坂」で有名な田原坂があります。右下にちらりと見える緑の庇の建物が「KKRホテル熊本」。ここの2階のロビーから見る天守もまたいい。
本丸と熊本市内中心部。
そして本丸御殿。御殿の前に見えるのは、大銀杏。
●本丸御殿
本丸御殿は、畳数1570畳、部屋数53もある建物群。天守と同様、西南戦争時に焼失しましたが、2008年(平成20年)に復元されました。
手前の「鶴の丸」から奥に向かって「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」と続く大広間。
それぞれの部屋境は襖で仕切られ、広間の左手には縁側が配されています。
奥の部屋に進むにつれ、飾り金具や天井などの豪華さも増しています。
長押などの和釘を隠すために用いられる釘隠しなどの飾り金具は、京都の職人さんの手作りだそうです。
左写真の「六葉釘隠し」と呼ばれるこの飾り金具は、6つの葉の部分に、 菊(天皇) 桐(豊臣家) 桔梗(加藤家)の文様が彫られています。凝ってますね。
大広間の奥に藩主と家臣が対面した「若松之間」があります。さらに襖の奥にある部屋が、数々の部屋の中でも最も格式の高い「昭君之間」となっています。
「昭君之間」は、一説によると、「将軍の間」。清正が豊臣家の有事の際、秀吉の子の秀頼を迎えるために造った部屋と伝えられています。
床、棚、付書院を備え、天井は見事な「格子天井絵」で埋め尽くされています。
●宇土櫓
本丸の西北隅に建つ宇土櫓は、西南戦争で焼失を免れ、加藤清正が熊本城を築城した当時から現在まで残っている唯一の多層櫓です。3層5階地下1階の櫓で、天守並みの構造と大きさを誇ることから第3の天守とも呼ばれています。
まずは東側から。宇土櫓・渡り櫓・付け櫓が並んだ姿。
続いて西側・西出丸から。西側と北側には深い空堀があり、高石垣に聳える櫓という姿で観ることができます。石垣の高さ、曲線と宇土櫓の組み合わせは、風格があります。
屋根は反りのないむくり破風、最上階には見張り用の廻縁があります。
内部の梁組を見ながら廊下を進みます。柱には、手斧の跡が残っています。
宇土櫓 最上階から西大手門と奉行丸の未申櫓を望む。その向こうに見えるのが、薩摩軍が砲台を置いた花岡山。
戌亥櫓と二ノ丸広場を望む。
大天守と小天守。
付け櫓と渡り櫓。
●数奇屋丸
宇土櫓から数寄屋丸へ通じる桝形通路を下っていきます。
背の高い石垣の上に立つ本丸御殿を仰ぎ見ながら枡形に沿って歩きます。
●梅園
その先には梅園があり、紅白の梅がちょうど見頃を迎えていました。満開の梅の花と天守が同時に楽しめます。
●二様の石垣
熊本城の石垣は、司馬遼太郎の言葉を借りると「
息を飲むほどに造形的な気迫が感じられる」独特の反りで築かれています。梅園のすぐ脇の石垣は、二様の石垣と呼ばれ、加藤清正時代と細川時代の異なった様式の石垣を同時に見ることができます。
右側の清正時代の石垣は、隅に同じ大きさの石を積み上げる「穴太積」で、下は緩やかですが、上に向かうに従って角度を高める、いわゆる武者返しと呼ばれる石垣です。左側は細川時代に追加した石垣で長方形の角石を左右交互に積んだ「算木積」で、勾配が急。石垣の奥に大天守も見える、絶好のビュースポットになっています。
石段を竹の丸方面へ下り、二様の石垣と天守を仰ぎ見て。
●大クスノキ
飯田丸五階櫓の脇には、築城前からあったという樹齢800年の大クスノキが、今もしっかり根を下ろしています。
●井戸
熊本城内には、たくさんの井戸があります。加藤清正が籠城の備えを万全にするために掘らせたものだそうです。その数120余。
飯田丸・東竹の丸方面から竹の丸に向かう途中に五階櫓の跡があります。熊本城の
復元整備計画を見ると、他の櫓同様、この櫓も将来的には、復元されるようです。見てみたい。
竹の丸の堅牢な高石垣群の向こうに、天守が顔を覗かせています。威風堂々たる佇まい。
今回は西大手門から入って天守を見てから、石段を下りてきたのですが、次に熊本城を訪ねた際は、櫨方門から入って、まずは、高石垣越しに天守を仰ぎ見て、石段を登りつめて天守に向かう・・・そんなルートを辿ってみたいと思う今日この頃です。