2日目 つづき
JR「艫作」駅⇒⇒(五能線)⇒⇒JR「深浦」駅
不老ふ死温泉で立ち寄り湯をのんびり楽しんだ私たちは、艫作から五能線の普通列車に乗り込み、深浦に移動します。定刻通り、12:36に深浦駅に到着します。
深浦は北前船の風待ち湊として栄えた旧津軽領西海岸の港町。深浦を訪ねた太宰は、町の印象を「
お悧巧なちゃっかりした表情をして旅人を無言で送迎している」と『津軽』に書いています。
1時間程の列車の乗継時間を利用して、太宰が歩いた町並みを散策することにしました。駅の観光案内所に設置してあるロッカーに手荷物を預け、通りに出ます。
◆太宰の宿 ふかうら文学館
最初に向ったのが、太宰治がかつて宿泊し、小説『津軽』にも登場する旧秋田旅館です。
深浦駅から深浦港沿いを走る国道101号(大間越街道)を南に向って歩くこと15分。太宰が「行き当りばったりで入った」旧秋田旅館が、「太宰の宿 ふかうら文学館」として残っています。
津軽行脚を始めて2週間。太宰は、津軽に来てから、人のご馳走にばかりなっていたので、自力でうんとお酒を飲んでみようと、近所の料亭に出かけますが、「率直なもの言い」をして散々な目に遭い、翌朝、兄英治の同期生だという旅館の主人から、鮑の腹わたの塩辛と酒の歓待を受けます。津軽の南の端まで来ても、兄のおかげをこうむり、自力では何一つ出来ないと嘆き、深浦で得たものは兄の勢力範囲を知ったという事だけ、と結んでいます。
文学館の前には、太宰が「葉書を一枚買って、東京の留守宅短いたよりを認めた」とされるポストが再現されています。
◆猿神鼻岩 洞門
深浦駅に戻る途中、行きに気になっていた大きな岩のところにやってきました。
案内板によりますと、深浦湊は、北前船が順風や順潮になる時を待つ為に立ち寄った「風待ち港」で、海を見つめる猿の横顔に似た「猿神鼻岩」は、風待ち港の象徴的な存在だったそうです。
トンネルのような穴は、深浦湊への物資の運搬が容易にできるようにと、岩を掘削して開いた洞門。かつて北前船で賑わった深浦の栄華を偲ばせます。
◆大岩
列車の時間まで20分程余裕があったので、駅の北側にある大岩まで行って見ました。潮が満ちたら海に隠れてしまいそうな、細い通路をテクテクと。
国道のすぐ脇の海なのに透き通るように綺麗、
空の色、海の色・・・日本海のイメージが変わりました。
岩の上に登る階段の前で時間切れ。駆け足で深浦駅に戻ります。