相棒の実家を訪ねがてら、岡崎の大樹寺近くにある『
手打ちうどん 香の兎』へ。「香の兎」と書いて「かのう」と読みます。香川で修行した大将が営む、讃岐うどんのお店です。
店に着いたのが、週末の昼時とあって、店の外に空席待ちの人が溢れ、席に案内されるまで30分近く待つことになりました。ご主人がうどんを打つ音が響く店内は、狭いながらも、カウンター席に、テーブル席、小上がりが合わせて20数席程あります。
お品書きには、「釜揚げ」「ぶっかけ」「ひやひや」「ひやあつ」「あつあつ」などなど、香川の讃岐うどんやでおなじみのメニューもあり、麺、出汁、オプションを自分の好みにカスタマイズして、うどんを注文することができます。私は、冷たい麺に冷たい出汁の「ひやひや」の小にちくわ天を、相棒は「ひやひや」の大に野菜かき揚げ天を注文。ここは前払い制なので、注文後に、代金を先払い。待つこと20分。ようやく運ばれてきたうどんを見て、うどんの量と、かき揚げの大きさにびっくり(^^) 小でも軽く2玉はありそう。
麺は、香り良く、舌触りが滑らかで、適度なコシ、独特の噛み応えがあります。お店のBlogによると、この日のは、香川産のさぬきの夢2000のよう。(言われないとわからない) 出汁は、イリコ主体で、鰹の風味を生かした、甘みを抑えた、すっきり味。麺との相性もよろしく、つるつるっといただけます。揚げたての天ぷらも、食べ応えあり。待った甲斐がありました。ご馳走様でした。
ここは、麺、出汁、出し方、雰囲気ともに讃岐テイストなお店。多少待つことになりますが、コシのある打ち立ての麺と、揚げたての天ぷらが楽しめます。また来よう。
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●香の兎 (讃岐うどん)
住 所:岡崎市井田町4-209
電 話:0564-26-2033
最寄駅:愛知環状鉄道「大門」より東へ2km
備 考:不定休*""*""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*"""*""*""*"""*"""*"""*
専属学芸員付(←義父のコトです)で近くまで来たので、
大樹寺に立ち寄ってみました。
●大樹寺
大樹寺は、松平4代親忠が建立した、松平家、徳川家の菩提寺です。
徳川家康が松平元康と呼ばれていた19歳の時、桶狭間合戦で敗れ、ここ大樹寺に逃げ帰り、先祖の墓の前で自害を図ろうとしたのを、当時の住職 登誉上人が「厭離穢土、欣求浄土」の経文の言葉を授けて、思いとどまらせたことから、家康の窮地を救い、天下人へと飛翔する転機となった場所と伝えられています。
家康は死ぬ1年前に、大樹寺に朱印状を与え、先祖松平8代の廟所を建立させます。左端にある立派な墓が家康の墓。家康の遺言は、「遺体は、久能山へ」「位牌は大樹寺へ」で、墓は別の場所にありますが、今から40年程前に岡崎市民の手によって、大樹寺にも墓と碑が建立されたそうです。
家康の遺言に従って、本堂奥にある位牌堂には、松平8代と、歴代将軍の等身大の位牌が安置されています。(写真撮影不可)8歳で死去した7代家継以外は成人で死去しており、位牌は150-160cmが中心。(ちなみに家康は159cm) 一際小さかったのが、5代綱吉の位牌。124cmでした。・・・随分と小柄な方だったんですね。
大樹寺のこの他の見所。その1つが、国の重要文化財に指定されている「多宝塔」。
室町時代建立の平面が下重方形 上重円筒形で上下の接続が饅頭型の二重塔。
そして「
ビスタライン」
「ビスタライン」とは、本堂―三門―総門―岡崎城を一直線上に遠望できる3キロの直線のこと。三門を覗くと、道路を挟んだ小学校の向こうに総門、その先の中心に岡崎城が臨めます。(写真だとわかりにくいかな?) 歴代の岡崎城主は、天守から大樹寺に向かって拝礼したとも伝えられ、大樹寺から岡崎城を望む歴史的眺望は、今も条例によって守られています。
岡崎歴史探訪でした。