2月11日(祝) 旅の1日目
セントレア8:20発の飛行機で青森空港へ。定刻より5分遅れの到着となり焦ってしまいましたが、弘前市内への連絡バスは、到着が遅れても預けた荷物が出てくるまで、ちゃんと待っていれくれるんですね。おかげで1時間程で弘前駅に到着。すぐに
弘前循環100円バスに乗り換え、弘前城へ向います。「市役所」停留所に降りると、追手門は、すぐ目の前。
●弘前城
小説『津軽』で太宰治が「津軽人の魂の拠りどころである」と紹介した弘前城。その表門である追手門は、枡形の土塁に囲まれた、脇戸付櫓門で屋根は銅瓦葺。前夜から降り続ける雪のため、追手門前のお堀の水も凍ってます。幻想的な雰囲気。
弘前城は、1611年に津軽藩2代藩主・信枚が築いた津軽藩10万石の居城。6つの郭を3重の濠と土塁で囲んだ城郭で、天守閣、隅櫓3棟、城門5棟が現存しています。
追手門をくぐると、そこは、白一色の雪景色。
間もなく前方の中濠越しに見えるのが、二の丸の辰巳櫓。二の丸には、北西を覗く3つの角に、辰巳櫓(東南)、未申櫓(南西)、丑寅(北東)の3つの櫓が残っています。櫓は、3層3階で、屋根はとち葺型銅板葺、壁は白漆喰塗籠。軒下や出格子は素木のままという武骨な作りですが、独特の美しさがあります。
辰巳櫓 丑虎櫓
未申櫓
杉の大橋
中濠沿いに左に曲がると、鮮やかな赤い橋が見えます。三の丸から二の丸へ渡す、杉の大橋です。
南内門
杉の大橋を渡ると二の丸南内門があります。
下垂橋
二の丸と本丸角馬出とを結ぶ下乗橋。藩主と藩主に許された者以外は、馬や駕籠から下りて歩いて渡ることが定められていたことからつけられました。 赤い橋と雪をかぶった天守閣のコントラストがいい感じ。
弘前城は、築城時は5層の天守でしたが、落雷で焼失。一国一城令のあとの天守再建とあって、隅櫓の名目で幕府の許可を得て、辰巳櫓を層塔式天守の外容に改修し、移築再建したのだそうです。そのため、江戸期は、御三階櫓と称されていたそうです。北側の本丸から見た天守は、元「櫓」の面影を感じさせます。
天守から見る岩木山の眺めが美しいと聞いていたのですが、12月-3月の冬季は内部の見学不可なんですね。残念。せめて外から天守の眺めを楽しみましょう・・・とよくよく眺めると、見る位置によって全く様相が違うことに気付きました。
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南西角 ↑
南東角(下垂橋のたもとから)
外側の2面(東・南)は、一間に2つずつの箱狭間を並べ、切妻破風を軒先に飾っていますが、内側の2面(北・西)は、連窓だけの質素な作りになっていています。見る位置によって、印象がここまで違うお城もそうないのでは?
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北東角 ↓
北西角(本丸から)
私が好きなのは、南東角から赤い下垂橋越しの構図かしら。
本丸を北に進み、濠の外側に出て天守を振り返ります。
弘前城は、外濠と中濠は土塁で固めていますが、本丸だけは、深い堀と石垣で囲まれています。
亀甲門
北の正面にあたる北門(亀甲門)は、他の門に比べて大きくどっしりした印象。築城当時の弘前城は北向きの城であったため、こちらが追手門と呼ばれていたそうです。納得。写真は、亀甲橋から見た亀甲門。
およそ1時間弱で城内をひととおり見学することができました。
弘前城の雪燈籠まつりの初日とあって(会期は、2月11日-14日)、弘前城公園内の会場は、昼間からお祭りモード全開。
マスコットキャラクターの
たかまる君も大活躍。弘前城の別名「鷹岡城」の鷹からのネーミングだそうです。
会場内には、雪の燈籠、ミニかまくら、雪像なども出来ていて、あかりが灯る夕暮れが待ち遠しい。
●弘前城雪燈籠まつり
夕暮れ時に合わせて、再び、雪の弘前城へ。
ねぷたの絵をはめた雪燈籠や、かまくらの柔らかな灯りが城内を優しく照らしています。
本丸から岩木山の方角を望んだ蓮池の周りに造られたミニカマクラは、約300基。
日が暮れてロウソクが灯ると・・・
雪化粧した天守閣と、雪囲いされた老松も
ライトアップされると・・・
来場者には、入口でロウソクのポットが1つ1つ手渡されます。訪れた人も、思い思いの場所に灯りを置いて、幻想的な雰囲気作りに参加することができます。
人々が灯したロウソクの光が作り出す光景は温かみがあり、会場に静かに流れるヒーリングミュージックとの相互効果で、公園内は、すっかり癒しの空間に。派手さはないけれど、こういう静かに楽しむお祭りも素敵。